前号は「人を超える眼」、今号は「耳をしのぐ」。図らずも、本誌は2号連続で人間の感覚器を超越した技術の特集記事を掲載しました。これは偶然の賜物というより、ある意味、必然の産物と考えています。

 特集で取り上げた「再生の高音質化」は古くからの開発テーマです。2001年発売の「iPod」から続いてきた、音楽を手軽に楽しめる環境づくりが一段落した結果、再び脚光を浴びました。もっとも、この方向での機能強化には限度があります。本当に人の可聴域を超えてしまえば、それ以上の開発は無意味になるからです。年齢の割に耳が遠い私は、早くも、ハイレゾと通常の音源の違いを聞き分けられない自信があります。それでも高音質をうたう高価なヘッドフォンに、思わず大枚をはたく体たらくですが。

 特集のもう1つの話題「集音」の方は違います。機械が聞く分には人の限界は関係ありません。解説で取り上げた距離画像センサーも同じです。かくして機械の能力が高まるほど、新しい応用が生まれます。

 「再生」と「集音」の対比は、エレクトロニクス業界で現在進行中の大転換の象徴です。これまで情報通信やAV機器の分野で進んできた研究開発は、基本的に世界の情報を電子化して自在に扱えるようにする動きだったといえます。情報の最終消費地は人であり、その知覚や認識が暗黙のゴールでした。8K映像の配信が近づき、人類総出でも読みきれない情報がネットにあふれる今、この方向での進歩は誰が見ても限界です。

 その代わりに台頭したのは、人ではなく機械に情報を処理させ、その結果を使って現実世界を自在に変えようという動きです。自動運転しかり、インフラ検査しかり、植物工場しかり。そこでは人よりも鋭敏な知覚や、かつてない人工感覚に無限の活躍の場があります。この隆盛に目をつけた結果が、ここ2号の特集でした。

 このジグソーパズルに欠けた要のピースは、あまたの情報から適切な行動を判断する能力です。多くの分野で、この部分は人の経験や勘が担ってきました。今やここまでもが機械化されようとしています。人工知能(AI)の技術に入れ込む米Google社らは、人より優れた判断を機械が下せる日を見据えているのかもしれません。

 知能まで機械に負けた人間にはどんな将来が来るのでしょう。優雅なリタイア生活を満喫したいものですが、年金の先行きを考えただけでも難しそう。機械に勝る能力を磨くしかなさそうです。仕事が激減した組み込みソフト技術者の苦境は人ごとではありません。