信号処理と一体になって設計するマルチアンテナ

 近年は,マルチアンテナの研究開発が盛んである。電子回路やデジタル信号処理と融合し,アンテナが通信の本質にまで関与するようになってきた。今後もアンテナはますます進化していくだろう。

 ここではAAS(adaptive antenna system)方式に代表されるSDMA(space division multiple access,空間分割多元接続)方式と,MIMO(multiple input multiple output)方式について解説する。 AAS方式は,同じ素子アンテナ(マルチアンテナを構成する基本のアンテナ)を用い,各素子アンテナ間の相互干渉を積極的に利用する。第1世代のフェーズド・アレイ・アンテナは,高周波の領域で,各素子アンテナに対し位相や振幅の重み付けを行って給電していた。しかし,第2世代のスマート・アンテナは,ソフトウエア無線のようにデジタル信号処理の領域で位相や振幅の重み付けを行い,周波数変換を行った高周波信号を各素子アンテナに給電する。このため,スマート・アンテナの設計には,アレイ・アンテナ,周波数変換器,デジタル信号処理の技術を理解しておく必要がある。

 AAS方式では,基地局に鋭い放射指向性を有するアレイ・アンテナを用い,ビームを水平面内で左右に振ったり,ビーム幅を制御することにより,混信を防ぐ(図C-6)。通信目的の移動端末方向にビームを向けて,その方向への指向性利得を上げる技術(ビーム・フォーミング)や,移動端末やマルチパス信号の方向に放射パターンの小さいヌル点を向けてアンテナの指向性利得を下げる技術(ヌル・ステアリング)などがある。このような制御を自動的に行う適応型のアンテナをアダプティブ・アンテナ・システム方式と呼ぶ。AAS方式は,アドバンスド・アンテナ・システム方式やアダプティブ・アンテナ・アレイ(AAA)方式と呼ばれることもある。

図C-6 AAS方式
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 MIMO方式とは,送信側と受信側でそれぞれ複数のアンテナを使用し,その間の空間では複数の電波伝搬路を作ることで空間的な多重化を行う方式である。図C-7に示すように,送信情報abcdを信号分配器でa,b,c,dというように分け,複数の送信機に異なる情報として入力する。それぞれの送信機からは,同じ周波数で同時に変調された電波が並列送信される。受信機ではこれらの並列送信された信号が混ざった信号として受信し,その信号を復調し信号分離/復号器へ送り出す。信号分離/復号器は受信機の出力信号から元の複数の送信情報a,b,c,dが混じった信号を受信し,それらを処理することによって送信された情報abcdを再生する。

図C-7 MIMO方式
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 MIMO方式を用いると,占有周波数帯域幅を広げずに通信速度が大幅に向上し,また,複数のアンテナで受信するので,マルチパスにも強く,障害物が多い環境でも通信状況を改善できる。MIMO方式は,送信側と受信側で複数のアンテナを用いることで,空間に複数の無線伝播路(空間ストリーム)ができるので,SM(spatial multiplexing,空間多重)や,SDM(space division multiplexing,空間分割多重)とも呼ばれる。

 MIMO方式に用いる複数の素子アンテナは,AAS方式のようにビーム・フォーミングやヌル・ステアリングを行うわけではないので,素子アンテナそれぞれの特性をそろえる必要はない。個々の素子アンテナのフェージング(直接波と反射波の合成信号の強さが時間とともに変動する現象)は独立した方がよい(つまり,空間相関は低い方がよい)。また,周波数によって信号強度が変わる周波数選択性フェージングによる信号歪みは,MIMO方式では復元できない。無線伝送路は,信号強度全体がどの周波数でも一様に上下するフラット・フェージングでなければならないC-4)

C-4)根日屋,小川,『ワイヤレスブロードバンド技術』,東京電機大学出版局,2006年.