相手の言いたいことをきちんと聞き取る
Nさんは,ようやくEさんの心を切り開くことに成功したようです。Nさんが取ったコミュニケーション行動には,基本となる三つの要点があります。第1は,相手が受け入れやすい状況であるかを確認して働き掛けること。第2は,相手の考えていることをよく聞くこと。第3は,期待する気持ちを込めて,目的や目標を伝えることです。
適切なコミュニケーション行動がなされれば,相手がコミュニケーションの目的を理解し,意味と意義を納得して自らの意思で行動します。逆に,コミュニケーションの要点を考慮しない一方的な働き掛けでは,相手の心を動かすことはできないでしょう。Eさんは,Nさんとの会話から自らの気付きで消極的な姿勢から抜け出したようです。
人は経験から学ぶことが大いにありますが,経験が自分の殻となって固定概念が価値観化することもあります。その価値観を守ろうとする消極性がさらなる消極性を増幅する負の循環モードに入ると,本来の自分があるべき姿を見失うことになります。今後,Eさんがプレゼンに対して苦手意識を持たなくなるために何よりも大切なことは,積極的に機会を積み,経験を重ねていくことです(図1)。
今回の事例でNさんが取り上げたコミュニケーションの方法は,企業人としては基盤的なスキルです。①準備してから話を切り出す,②相手の状況を確認してから話をする,③話をよく聞く,④本人自身の言葉によって自らも気付くことを促す積極的傾聴(アクティブ・リスニング),というコミュニケーションの基本スキルを活用した例です。
人は自分が発した言葉に論理性を見いだし,自分の行動を正当化しようとします。Eさんがかたくなになっていたのも理解できますが,Nさんとの交流の中で自分の本来あるべき姿を見いだしたということでしょう。
積極的傾聴は,この例のように多くのコミュニケーション機会で活用できます。冒頭に挙げた例においてコミュニケーションが不全だった原因は,自分の考えていることをどう分からせるか説明することに片寄り,相手が何を考えているかを聞き取ろうとしていないところにあるのです。積極的傾聴とは黙って聞くことではなく,相手の言いたいことが何かを聞き取ることです。相手の考えを知らずして,いくら話をしても心から納得することはないでしょう。積極的傾聴はコミュニケーションの基本的なスキルです。
コミュニケーション力なくして仕事力なし
今回取り上げた事例はマネジャーであるNさんから働き掛けていますが,最終的にはEさんが自分自身で気付き,やる気を起こした事例です。EさんはNさんとの適切なコミュニケーションによって,プレゼンは苦手という意識を打ち破ろうとする気になった。つまり,“やる気”を起こしたことになります。
やる気とは,自分自身で何らかの目標を見いだして動こうとする気持ちのことです。人は将来の方向性やビジョンを見つけたときにやる気が起きます。ビジョンを見いだせないまま他人の力でやる気を喚起されても,真のやる気にはなりません。見掛け上のやる気は持続性も弱く,少しの困難で失われがちです。
真のやる気は上司や周りの人との適切なコミュニケーションを通じて,「やること」の意味を自覚することによって沸き上がってくるものです。やる気は自分自身の価値観と志(ビジョンや方向性)が一致したときに最大化し,それにより,人は能動的かつ主体的になります。人間関係,つまりコミュニケーションが,このやる気に大きな影響を与えます。仕事環境においても,適切なコミュニケーションは単なる情報の交流だけではなく,自分自身でモチベーションを維持するためにも不可欠です。
個人の仕事上のモチベーションにコミュニケーションが重要なことはもちろんですが,商品開発のように制約条件下でプロジェクト的に行う仕事では,多くの利害関係者とのコミュニケーションの巧拙が全体の成功を左右します。
仕事力を高めるコミュニケーション力では聞く,話す,読む,書くなどの基盤的なコミュニケーション・スキルと,高度で専門的な五つのコミュニケーション・スキルとの連携で,その効力が発揮されます(図2)。コミュニケーションの基盤スキルと五つの専門スキルとの関係は不可分の関係で,基盤スキルなくしては専門スキルを行使することができず,専門スキルなくしては高度なコミュニケーション力を発揮できないのです。
最後に,コミュニケーション・スキルの構造を理解し,その効用を発揮するために重要なことを付け加えます。それは“やる気”と自分自身を奮い立たせる“リーダーシップ”にほかなりません。やる気とリーダーシップはコミュニケーション力を推進する仕事力の中軸であり,この二つなくしてコミュニケーション力なし,コミュニケーション力なくして仕事力なしともいえます。コミュニケーションとやる気/リーダーシップは,相互連鎖の関係があります。自分のコミュニケーション力を高めるために,この連鎖の関係について自分なりの視点で理解を深めていくことも大切なことです。