「しかし,なんでまたIBMなんだろう?」

 六本木に向かう地下鉄の中で斎藤は,独りごちた。

「プレイステーション 2(PS2)」の発売から2カ月がたとうとしていた2000年4月末。PS2が搭載するマイクロプロセサ「Emotion Engine」の共同開発で東芝側の責任者を務めた斎藤光男は,ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)から「至急,ミーティングに出席してほしい」との要請を受ける。PS2の後継機に向けたマイクロプロセサについて,米IBM Corp.の開発責任者を交えて打ち合わせをするという。急な申し出とはいえ,斎藤に逡巡する余地はなかった。

 ミーティングの場所は,通い慣れた東京・青山のSCE本社ではなく六本木のホテルだった。六本木といえば,日本IBMのお膝元である。IBM社からの出席者を気遣っての設定に違いない。だからこそ,斎藤は腑ふに落ちないのだった。