ドキュメント
レジェンドの開発(第1回)

日産から来た男

走行性能と乗り心地,安全性能を高いレベルで兼ね備える,ホンダの最上級セダン「レジェンド」。他社の競合車を抑えて「2004-2005日本カー・オブ・ザ・イヤー」に輝いた。受賞の決め手は,前後と左右の車輪に伝えるトルクの配分を制御し,意のままの操舵を実現した「SH-AWD」だ。4代目レジェンドの開発,それは1人の男がSH-AWDの原型を生み出すところから始まったといっても過言でない。

 陽光が遮断された会議室。暗闇の中,OHPの放つ光がまぶしい。白い大きなスクリーンに映し出された技術資料を指しながら,1人の男が役員を前に懸命のプレゼンを続ける。

「このようにして,4輪駆動車で前輪と後輪に伝達するトルクの配分比率を制御します。そうすれば,最初にご説明したように,状況に応じて直進安定性を高めたり,曲がりやすくしたりすることができるというわけです」
「なるほどね。確かに,4輪駆動車は直進安定性に優れるけど,進路を変えるときには応答を拒むところがあるからなぁ。あの癖を嫌がる人はいるはずだ」
「はい。このシステムなら,その問題を解消できます。従いまして,うちとしましては」
「その前に,他社はどうなんだ。同じような技術の話を聞いたことがあるんだけど」
「ええ,そこなんですが,近々商品化という噂もありますので,うちとしましては」
「ちょっと待って。その話が本当なら,うちが今さら研究する意味はないだろう。いいかい,君に与えられたテーマは『将来駆動方式』だ。他社の後追いじゃない。その名にふさわしい将来の駆動システムを考えてくれ」

 玉砕した。日産自動車から本田技術研究所に転職して1年。たった1人で進めてきた研究成果が今,バッサリと切り捨てられた。

 芝端康二。日産時代は,同社独自の4WS(4輪操舵)システムや日本初のマルチリンク式サスペンションを世に送り出すなど,「技術の日産」を支えた花形技術者の1人だった。プレゼンの1年前の1986年,「サスペンションの研究は一通りやり尽くした」と,新天地を求める。それがホンダだった。