本田技術研究所四輪R&Dセンター LPL 主任研究員の小西真氏
本田技術研究所四輪R&Dセンター LPL 主任研究員の小西真氏
初代「バラードスポーツCR-X」や3代目「アコード」などのドア設計、「エディックス」のLPL(Large Project Leader)代行などを経て、今回、新型フィットの開発責任者を務めた。写真:中島正之

 ホンダが2013年9月に発売した3代目「フィット」は、発売から約1カ月の段階で、受注台数が月間計画販売台数の約4倍に当たる6万2000台を超え、10月の新車ランキング(登録車)では1位となるなど好調な滑り出しとなった。この新型フィットの開発責任者を務めたのが、本田技術研究所四輪R&DセンターLPL(Large Project Leader)主任研究員の小西真である。

 「会社がきちんと儲けることができ、しかも創造的な商品性を備えたクルマに仕上がった」と語る小西は、1982年に同社に入社し、ドアの設計を長年担当してきた。

英国車の設計に戸惑う

 大学の機械工学科で鉄とアルミニウム(Al)を分別する方法を研究し、卒業した小西は、生来のクルマ好きだったことから本田技術研究所に入社した。

  「当時は、誰でもいらっしゃいという風潮で、面接と健康診断くらいはしましたが、試験もせず入れちゃいました(笑)。他の会社もそうだったのではないですか。ホンダといえば、F1のイメージがありましたね」

 当時、栃木研究所は1979年にできたばかりで、小西をはじめ多くの新入社員は和光研究所に所属した。そこで、小西はドアの設計に携わる。

 関わったクルマは、1983年発売の「バラードスポーツCR-X」、85年の3代目「アコード」、87年の3代目「プレリュード」、89年の2代目「インテグラ」、92年の「レジェンドクーペ」、94年の初代「オデッセイ」と、多くのヒット車のドアを手がけてきた。

 「当時のドア設計では、エンジン、シャシーなどに比べて、ホンダは遅れているなと思う出来事がありました。英British Leyland社(当時)と提携していたとき、ドアウインドーの昇降機構の図面で、彼らがウインドーの移動経路を曲線で描いている意味が分からなかったのです。我々は、ただまっすぐに線を引いていました。だから、窓ガラスを下ろしたとき、サッシとガラスの間に、どうしても隙間ができていたのです。British Leyland社の設計者たちがやっているように、曲線を描くように昇降させれば、ピタリと窓ガラスが収まる。そんな昇降機構の基本も、知らずにやっていたんですね」

以下、『日経Automotive Technology』2014年1月号に掲載