曙ブレーキ工業は2012年10月、Formula 1(F1)チームのボーダフォン・マクラーレン・メルセデスとパートナーシップ契約を更新し、2013年初頭から3年間にわたってブレーキを供給することになった。極限の世界に挑むことによって磨かれるのは、技術力に加えて、もう1つある。「考える力」だ。

写真:栗原克巳

 グローバル化が進む中で、お客様の要求に対してどこまで応えられるのか、という点がますます重要になってきました。市場が広がれば広がるほど、お客様の要求が多様化するからです。ブレーキを製造する当社の場合には、直接のお客様は自動車メーカーになります。しかし我々は今、その先にいるお客様、つまり自動車のハンドルを実際に握るユーザーの要求に応えられるよう努めています。

 一般に、自動車メーカーから伝えられるものは、ユーザーの要求の「平均値」になります。しかし我々ブレーキメーカーが知りたいのは平均だけではなく、端から端までを含めた全ての要求です。その上で、それらに対してどうしたら応えていけるのかを考えていかなくてはなりません。

 日本のブレーキの最大の強みは、振動や鳴きが非常に少ない点です。だからといって、これが、未舗装の新興国で受け入れられるでしょうか。その国のユーザーはこう言うでしょう。「振動や鳴きがいくら少なくても、道路がガタガタではその良さが分からない。それよりも、もっと安くしてくれた方がありがたい」と。

 こういう要求に応えることは、品質を下げることには当たりません。元来、品質はお客様の要求で決まり、我々メーカーの役割はその要求に見合ったものを適正なコストで提供していくことですから。
〔以下、日経ものづくり2013年5月号に掲載〕(聞き手は本誌編集長 荻原博之)

信元 久隆(のぶもと・ひさたか)
曙ブレーキ工業 代表取締役社長
1949年生まれ。1973年3月一橋大学商学部卒業、同年4月仏D.B.A社入社。1977年6月曙ブレーキ工業に入社し、1983年6月取締役国際業務部長、1984年6月常務取締役、1985年6月専務取締役、1986年6月代表取締役副社長、1990年6月代表取締役社長を歴任し、1994年6月代表取締役会長兼社長に就任し現在に至る。2008年5月から2012年5月まで日本自動車部品工業会会長。その他、在日フランス商工会議所第二副会頭など多くの要職を務める。2008年藍綬褒章受賞。英語、仏語が堪能で、文楽にも精通し、三味線をたしなむ。