世界でただ一人、鋳物の削り出しで重心がど真ん中にある砲丸を作れる職人がいる。
辻谷工業(埼玉県富士見市)の辻谷政久氏、80歳だ。
アトランタ/シドニー/アテネの3つの五輪大会で砲丸投げのメダルを独占し、日本の技術力の高さを世界に知らしめた。
いまや、世界中の大手メーカーから技術指導の依頼が絶えない。
この日本を代表する職人に、ものづくりへの思いを聞いた。

写真:栗原克巳

 私の作る砲丸は、重心がピタリと中心にあるところに特徴があります。3つのオリンピック(1996年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネ)で正式に採用され、3大会連続で、金、銀、銅メダルを獲った全ての選手が私の砲丸を選んでくれました。オリンピックでは、数社が納品した砲丸が並べられていて、そこから好きな物を選手たちが選びます。選手たちによると、重心が中心から1mmずれているだけで、飛距離が1~2mも短くなるのだそうです。

 砲丸を削るのにNC旋盤は使いません。使うのは、この汎用旋盤。40年間連れ添っている、私の相棒です。これを使う理由は、私が使い慣れていることだけではありません。NC旋盤だと、重心が中心にある砲丸をうまく作れないからなんです。

重さがそろわない

 陸上競技で使用する砲丸の国際規格が変更になったのは、1980年のことです。それまでは、7250gよりも重ければ、50gオーバーでも100gオーバーでもかまわなかった。ところが新規格では、7250gに対して+5~25gと定められました。100g単位の誤差で良かったものが、急に20gの範囲内に収めなければならなくなったのです。これが最初の難関でした。

 砲丸の材料は鉄の鋳物。球体の上下にボスと呼ばれる軸が30mmほど付いた状態で、埼玉県川口市の鋳物メーカーから納品されます。

 この鉄の鋳物というのが難しい材料でしてね。砲丸を作るときは大抵1回に150個ずつ作るのですが、同じように削っても、完成品は1個めから150個めまで全て重さがバラバラ。最初に作ったときは150個のうち20~30個が不良品になりました。

 私も職人なんでしょうね。普段の生活に関しては大ざっぱなんですが、仕事に関してはものすごくしつこい。毎日、どのくらい削ったら何gになったというデータを1個ずつ記録して、10個ずつの平均値で独自のマニュアルをこしらえました。でも、今月作ったマニュアルが翌月には通用しない。途方に暮れました。
〔以下、日経ものづくり2013年4月号に掲載〕(聞き手は池松由香)

辻谷 政久(つじたに・まさひさ)
辻谷工業 代表取締役
1933年1月東京生まれ。13歳から父親の会社を手伝い、見よう見まねで旋盤の操作を覚える。1953年聖橋工業高校(現・埼玉工業大学)定時制卒業、1959年に独立して辻谷工業創業、1983年に有限会社に。現在は陸上用スポーツ器具やレジャー用品などの設計・製造を手掛ける。2005年に厚生労働省「卓越した技能者(現代の名工)」受賞。2008年秋の黄綬褒章受章。

*:2008年の北京五輪と2012年のロンドン五輪には、自ら砲丸を提供しなかった。