コンサルタントの視点
アーサーDリトル アソシエート・ディレクター 川口盛之助氏
技術とイノベーション育成に関するエキスパート。モノづくり競争力と文化的背景とを体系的に紐付けたユニークな方法論を展開する。著作「オタクで女の子な国のモノづくり」は「日経BizTech図書賞」を受賞。英語、韓国語、中国語、タイ語にも翻訳され、アジア各国政府のベンチマーク指定書に選ばれる。

 『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著、講談社刊)というなんとも魅惑的なタイトルの名著がある。この本を手に、自動車の価値と“生物性”の関係について考えてみた。自分のクルマを「愛車」と呼ぶ行為は、まさにクルマを生き物と見なすメンタリティを示している。しかし最近の所有から利用へ、という世界の潮流に身を委ねると、ちまたの車はみなカーシェアリングというオンデマンドな機能しか残らないようにも見える。“生物性”を付与することで、もう一度クルマへの愛を取り戻せるかもしれない、というのが、この文章の主題である。

 生き物とはエントロピーの法則に逆らって坂を登る「現象」のことだという。死んだ瞬間から意識は霧散し、身体も形を保てなくなって土に戻る。生きている間、我々を形作っている元素は日々入れ替わっていて、1年もするとほとんど残っていないという。つまり生きるということは、見かけは同じように見えても、それを構成する水の分子は絶えず入れ替わる「海の波のような現象」らしい。

 その人間が作る道具もエントロピーの坂を登る。散在する鉄鉱石を集めて純度を高め、複雑な形に仕立てる作業の集積が自動車だ。ただ人間と違って、クルマは工場を出た瞬間から劣化が始まり、時の経過とともに価値は下がり続ける。それが生き物との違いである。

以下、『日経Automotive Technology』2013年5月号に掲載