ものづくりの町、東京大田区を拠点に、主に自動車分野向けに金型部品やゲージなどを製造するダイヤ精機。そんな町工場の代表取締役に、諏訪貴子氏が就いたのは2004年のことだ。先代社長の父が突然他界し、急きょ跡を継いだ。大田区で1番輝く町工場を目指し、社員を、会社を変える。社長就任から約10年、同社は今や、名実共に大田区を代表する企業となった。

写真:栗原克巳

 私が社長に就任したときに社員に聞かれたんです、「社長の経営理念は何ですか」って。こんな質問を受けて、私は「うちの社員はすごいな、うちの会社は強いな」って嬉しく感じつつ、私の経営理念を分かりやすい言葉できちんと伝えなくてはいけないなという思いを強くしました。

 その経営理念を考えるに当たって、社員全員と面接をし、じっくりと話を聞きました。すると、多くの社員が「会社を残してほしい」「この会社、この大田区で働いていることに誇りを感じている」と言ってくれたので、それなら、大田区で1番を目指しましょうと、経営理念に掲げたのです

 同時に、この経営理念は、父の創業の意志を継ぐこと、会社の大きな幹を残すことでもありました。父はこの会社をゲージメーカーとして創業し、高付加価値のゲージを通して独自の技術を育んできました。父は何よりも技術を大切にしたのです。

 ただ、ゲージはとても難しく、リスクの高い製品といえます。求められる精度が高いため、腕のいい職人を育てなければなりませんし、たった1μmの磨きすぎが命取り。常に不良率との戦いです。なので、私が社長に就いた2004年には正直、ゲージから撤退するか否かで迷いました。当時は、神風が吹いたように仕事量が増え、主力の自動車部品向け金型などが好調でしたから、あえてゲージをやらなくても良かったんです。

 でも、私はゲージを捨て切れませんでした。大田区で1番を目指すために、そして父の意志であり会社の大きな幹である技術を守るために、ゲージを残そう、と考えたのです。
〔以下、日経ものづくり2013年3月号に掲載〕(聞き手は本誌編集長 荻原博之)

諏訪 貴子(すわ・たかこ)
ダイヤ精機 取締役社長
東京都大田区生まれ。成蹊大学工学部卒業後、ユニシアジェックス(現日立オートモティブシステムズ)に入社。その後、ダイヤ精機に入社するもリストラに。2004年、急逝した父の跡を継いで入社、同社代表取締役社長に就任し、現在に至る。新しい社風を築き、2010年からは3年連続で売り上げを伸ばすなど堅実な経営を維持。育児と経営を両立させる若手女性経営者としても注目を集め、日経ウーマン(日経BP 社)「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞に輝く。

* ダイヤ精機の経営理念は以下の2つ。「ダイヤ精機株式会社は、ものづくりの大田区を代表する企業となることを目指し、信頼ある企業を築くと共に、技術の発展と継承のため日々努力し、良き企業市民として社会に貢献いたします」。「ダイヤ精機株式会社は、健全な事業活動を通じ、社会、顧客、従業員をはじめ全ての人々を大切にします」。