おまえら、ボーナスは要らないな
開発中のエアバッグの実車搭載試験を米国で行うためにAmerican Honda Motor社トップの雨宮高一さんを説得した時のエピソードを、前回(2011年9月号)紹介した。その際に、死に物狂いで説得したことがもう1回あると書いた。今回は、その話から始めたい。
「もう開発はやめよう」
説得の相手は、前回も登場した下島啓亨さん。ホンダは、技術開発をR(研究)とD(開発)に分けて考えており、下島さんはRの方を担当する役員だった。下島さんを説得したのは、筆者がエアバッグ開発の責任者になった翌日。エアバッグの開発が始まってから11年目の1982年4月のことだった。
筆者は、今後の開発日程をまとめて下島さんに報告しに行った。すると、何か変な雰囲気なのだ。渡した日程表は見ないし、筆者の説明も全く聞かない。おかしいな、と思っていたら突然、「なあ、小林君。エアバッグはやめよう」と言うではないか。そして、「君には他にやってもらいたいことがいっぱいある」と続けた。
筆者は、その瞬間に頭に血が上った。開発責任者になった翌日に言うべきことではない。中止するなら新しい開発責任者を置く必要はないからだ。
〔以下、日経ものづくり2011年10月号に掲載〕
中央大学 大学院 戦略経営研究科 客員教授