東日本大震災から、多くの自動車関連メーカーはいち早く復旧した。強い責任感と助け合いの精神が日本には健在である。だが、生産量を震災前の水準に戻すのに時間がかかっている。電子部品などが足りないからだ。震災は、サプライチェーンの危機管理に課題を突き付けた。

強い責任感が自動車産業を支える

 「操業までには時間がかかる。金型を引き渡そう」――。
 東日本大震災から2日後の2011年3月13日。宮城県亘理郡の山元町に本社と工場を構える岩機ダイカスト工業社長の斎藤吉雄は、そう決断した。同社は、Al(アルミニウム)やZn(亜鉛)のダイカスト部品を手掛ける2次部品メーカーである。ダイカスト部品は、金型に溶けた金属を押し込んで造る。その金型を他社に渡すのは同社にとって、1次部品メーカーから受けた仕事を捨てることを意味する。それでも斎藤は、迷いなく決めた。
 実のところ、岩機ダイカスト工業の建物や設備はそれほど壊れていない。山元町では津波が海岸線から約1.8km地点に達して沿岸は壊滅したが、同社の工場は約2km地点にあり、からくも津波は届かなかった(図)。その上、工場を地盤の固い場所に建てており、地震の被害も小さい。電力や水道が復旧すれば操業を再開できる見通しは立っていた。
 それにも関わらず、納入先の企業にコンプレッサの部品などの金型を貸し出した。それが斎藤の考える、自動車部品を手掛ける企業としての責任の取り方だった。「納入先の操業を何があっても止めないことが我々の責務」というのだ。

たった2週間のために

 金型の引き渡しと並行して、操業の再開も急ぐ。斎藤は自家発電機を探し始めた。再開への一番の障害は停電だったからだ。山元町に電力を供給する東北電力の山元変電所は水に浸かり、設備が壊れていた。このため電力がいつ来るのか全く分からない状況にある。ならば「工場内で発電するしかない」というわけだ。

以下、『日経Automotive Technology』2011年7月号に掲載
図 岩機ダイカスト工業から約2km先は壊滅した
宮城県亘理郡山元町の沿岸の様子。