ナチス・ドイツも原子爆弾の開発を行っていた。そのプロジェクトで重要な役割を担ったのが、不確定性原理で有名なハイゼンベルクだった。医師で脳科学者の中田力は『天才は冬に生まれる』の中で、次のような指摘をしている。

 1923年、21歳のハイゼンベルクは博士号を取得するための口頭試問に臨んだ。彼は、難解な数学の問題にはすぐに答えられたが、「電池はどう働くか」という簡単な質問には答えられなかった。1939年、ドイツで原爆開発が始まり、彼も参加した。しかし、彼は理論家であり実践家ではなかった。戦後、監査に入った連合軍が目にしたドイツの原爆開発は、驚くほど遅れていた。口頭試問で露呈した、ハイゼンベルクの致命的な欠点は、実際に働くものを作り出す工学的な能力を持っていなかったこと。それが原爆開発の足を引っ張った──。

〔以下、日経ものづくり2011年3号に掲載〕

イラスト:城芽ハヤト

西 美緒(にし・よしお)
元・ソニー業務執行役員上席常務
1966年3月慶応義塾大学工学部応用化学科を卒業後、ソニーに入社。1991年にリチウムイオン2次電池を開発し、世界初の商品化に成功。業務執行役員上席常務CTOなどを歴任し、2006年に退職。現在、10数社の顧問などを務める。