2010年11月某日、山田日登志氏は三重県・東員町のシグマー技研を訪れていた。同社は、2010年4~6月号にも当コラムに登場した減速機付きモータなどを開発・設計・製造・販売するメーカー。あれから半年が経過した今、同社の工場は様変わりしていた。

 この日も山田氏は、最初に出荷場に足を踏み入れた。出荷場から回るのは、ムダとりを指導するに当たって、この場所が何より重要な意味を持つからだ。ここで同氏は、現場スタッフに「いつもの質問」をした。
「今日のお客さんは誰ですか?」

 同社の現場スタッフは、「待ってました」とばかりにこう答えた。
「今日は○○運輸が1便だけ、17時20分に来ます。ここにあるのは、そのトラック便に載せる分です」
「ここにあるやつね。えぇですよ」

 そしてすぐに、次の質問へ。
「それ、どこ見ると分かりますか?」
「こちらです」

 そう言って現場スタッフは山田氏を案内した。その先にあったものとは?

〔以下、日経ものづくり2011年1月号に掲載〕

山田日登志(やまだ・ひとし)
トヨタ生産方式を270社に導入した経験を持つコンサルタント。岐阜県生産性本部在籍中に大野耐一氏と出会い、1971年から師事。1978年にカイゼン・リーダーを育成するPEC産業教育センターを設立し、所長に就任。ソニーを指導中にセル生産の基礎を築いた。