岩手県釜石市。ここに新日本製鉄の釜石製鉄所がある。同製鉄所のラグビー部(現・釜石シーウェイブスRFC)は日本選手権7連覇の偉業を果たし、一躍、釜石の名を全国にとどろかせた。筆者の年代はもちろんのこと、今の40代ぐらいまでは新日鉄釜石の存在を知っている。その強さは圧倒的であり、あこがれでもあった。

 新日鉄の本業は当然、製鉄業なのだが、企業スポーツでこれだけ有名になった会社も珍しいのではないだろうか。ラグビー部員は業務とラグビーを両立していたことでも知られており、新日鉄釜石ラグビー部は、まさに“文武両道”で頂点に立ったのである。

 その新日鉄が、なぜ釜石に製鉄所を造ったのか。今は高速道路やバイパス道路が整備されてはいるが、東北新幹線の新花巻駅から在来線で1時間半もかかる所にポツンと製鉄産業を起こしたのはなぜか。それは、釜石で鉄鉱石が産出されたからである。その産出量は、1つの製鉄所を支えるほどのものだった。

 新日鉄釜石は、1886年(明治19年)に初めて出銑(高炉から銑鉄を生産すること)に成功してから1989年(平成元年)に高炉の火を落とすまで、営々と103年間にわたり、我が国の製鉄業の一翼を担った(図)。

 そう、新日鉄釜石の高炉は現在、動いていない。鉄鉱石を、ほぼ取り尽くしたからである。その量、7000万t。およそ1世紀もの間、年間70万tもの鉄鉱石を鉄に変え続けた高炉は止まったのだ。

〔以下、日経ものづくり2010年11月号に掲載〕

図●生産がピークだったころの高炉

多喜義彦(たき・よしひこ)
システム・インテグレーション 代表取締役
1951年生まれ。1988年システム・インテグレーション設立、代表取締役に。現在、40数社の顧問、日本知的財産戦略協議会理事長、宇宙航空研究開発機構知財アドバイザー、日本特許情報機構理事、金沢大学や九州工業大学の客員教授などを務める。