どうすれば売れる商品をつくれるのか──。消費が低迷する中,これはメーカーにとって喫緊の課題だ。低価格化でお買い得感を出したり,魅力的なスペックの商品で購買欲を刺激したりする方法もある。だが,その先にあるのはし烈な競争。好循環を生み出す手立ては他にないのか──。そのヒントが,不況でも安定して売れ続けている「真・定番商品」にある。(中山 力,富岡恒憲,織田文子=フリーライター)
視点:好循環を生む第3の選択肢
1990年代中ごろ以降,年間の売上高を飛躍的に伸ばしている企業がある(図1)。川上産業だ。1994年度(1993年6月~1994年5月)の同社の年間売上高は約50億円。それが2008年度には130億円弱と約2.6倍に成長。不況真っただ中の2009年度(2008年6月~2009年5月)こそ,対前年度比で5%減とわずかに落としたものの,一般的な企業と比べれば格段の優等生だ。しかも,「2010年度は回復の見込み」(同社)と元気がいい。
不況による悪影響もそこそこに,同社がこうした堅実な成長を遂げられているのは,競争力の高い定番商品「プチプチ」があるためだ。プチプチとは,樹脂フィルムに凸状の粒々を多数設けた緩衝材のこと(一般名称は気泡シート)。贈答品用の缶入りクッキーなどでしばしばお目にかかるあの透明な粒々のシートである。
川上産業は,この気泡シートで国内の最大シェアを占める。そして,それにより,同社は年間売上高の約7割を確保しているというのだ。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
使いやすさを一貫して追求
NTTドコモ●らくらくホン
不況のあおりで携帯電話機全体の販売台数が落ち込む中,好況時と変わらない売れ行きを維持している携帯電話機がある。NTTドコモの「らくらくホン」シリーズだ。
初代モデル「P601es」(らくらくホンI)を1999年10月に発売。それ以来,ほぼ年1回のペースでモデルチェンジを実施している(図2)。派生商品を加えると,現時点で最新モデルとなる2009年8月発売の「F-10A」(らくらくホン6)で16機種目と,繰り返しブラッシュアップされてきた商品といえる。
そのシリーズとしての累計販売台数は,2009年10月末までの約10年間で1670万台。最近1年間(2008年11月~2009年10月)の月間販売台数で見ても,NTTドコモの携帯電話機の中では必ず上位10機種にランクインする人気ぶりだ。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
不要な動作を見極め排除
シヤチハタ●Xスタンパー
社名と同じ“シヤチハタ印”の名称で親しまれている,シヤチハタの浸透印「Xスタンパー」(図3)。スタンプ台を使うことなく,何度でも繰り返しスタンプを押すことができる。主力製品のネーム印「ネーム9」は累計販売本数で1億5000万本を超えるなど,Xスタンパー全体では同社の売り上げの約6割を占める。まさに定番中の定番商品だ。
Xスタンパーの源流にさかのぼると,シヤチハタの前身である舟橋商会が1925年に発売した「萬年スタンプ台」に行き着く。スポンジが空気中の水分を吸収することで,「使うたびにインクを補充する」という,当時は当たり前だったユーザーの動作をなくした。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
空間を邪魔しないフォルムに
プラマイゼロ●加湿器
2004年4月から2010年3月までの6年間で20万台の累計販売台数を見込むプラマイゼロ(本社東京)の加湿器,その名もズバリ「加湿器」シリーズ(図4)。これまで2度のモデルチェンジを経ているが,初代モデルから変えずに守り続けてきたのが,家電らしからぬ外観である。水滴を彷彿とさせる独特なフォルムと表面の光沢度を上げた陶器のような質感が醸し出す工芸品のような趣は,時を越えて多くの人々に受け入れられた。
同社がこうした外観にこだわり続けているのは「プラスにもマイナスにも偏らないちょうど適切なところにぴったりとはまっていく家電を造ることを目指しているため」(ナオトフカサワオフィス代表で同社のデザインディレクタを務める深澤直人氏)だ。それは,「言い換えると,余計なところがそぎ落とされて誰もが必然的にこうなったねと思えるような家電」(同氏)。いろんな人がいろんな生活の中で使ってみて,自然に出来上がってくるものと言ってもいい。それこそが「±0」というプラマイゼロのブランドと深澤氏が志向する家電であり,それを具現化した製品の代表例が,この加湿器シリーズといえる。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
ユーザーの資産継承に配慮
三菱電機●シーケンサ
産業機器でも定番商品はある。三菱電機のPLC(ProgrammableLogic Controller)「MELSEC」がそれだ。1980年ごろには数%だった国内シェアが1980年代後半に30%を,2000年には50%を超え,今ではトップの座を不動のものにしている。同社はPLCを「シーケンサ」と呼んでおり,このため,シーケンサと言えば同社製PLCを示すのが一般的となっている。
PLCは,1968年に米General Motors社の要求で誕生した。ここに三菱電機が参入したのは1973年のこと。最初に開発した「MELSEC-310」は,高さが約2mを上回るもので,まず自社内の工場で各種設備の自動制御に活用した。そのノウハウを蓄積して徐々に外販にも力を入れ,「同K」シリーズ(1980年),「同A」シリーズ(1985年),「同Q」シリーズ(1999年)と展開してきた(図5)。
「シーケンサが定番商品といえるようになったのは,国内シェアがトップになった1980年代後半」(同社)。自動化ニーズが高かった自動車の生産設備で使われるようになったことに加え,職業訓練学校に機材を提供したり,PLC専用のプログラム言語であるラダープログラムを教える専門スクールを開校したりといった活動が実を結んだ結果だ。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
将来性を信じブレずに臨む
TOTO●ウォシュレット
TOTOの温水洗浄便座「ウォシュレット」は今でこそ,温水洗浄便座の代名詞といえるほどの定番商品に育ったが,ここまでの道のりは決して平たんではない。
発売は1980年。当時はまだ,温水洗浄便座に対する市場の認知度が低く,売れ行きを大きく伸ばすというわけにはいかなかった。累計出荷台数が1000万台を超えるまでに要した年月は,実に18年。ところがこの後,売れ行きは加速度的に伸びていく。累計出荷台数が2000万台に届いたのは1000万台突破から7年後,2500万台に到達したのは同9年後の2007年だった。
こうしたウォシュレットの事例に学ぶのは,どんなに着眼が素晴らしくても,すぐに定番商品に育つとは限らないということ。そして,着眼が市場ニーズを先取りしていればいるほど,継続と進化が求められるということである。
実は,温水洗浄便座は日本生まれではなく米国生まれである。TOTOは1964年,米国メーカー製の温水洗浄便座「ウォッシュエアシート」の輸入販売を開始した(図6)。同社と温水洗浄便座の関係はここから始まる。1969年には同様の仕様の国産製品を発売するものの,ヒットには至らなかった。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
仕掛け続けて顧客開拓
川上産業●プチプチ
樹脂のフィルムに凸状の粒々を多数設け,そこに閉じ込めた空気の弾力で振動や衝撃を吸収できるようにした気泡シート。菓子や電子機器から引っ越し時の梱包まで,幅広く用いられている。その気泡シートで国内シェアの5割を占めるのが川上産業の「プチプチ」だ(図7)。気泡シートという言葉は知らなくても,物を見せられたら,まず知らない人はいない。それくらい,プチプチは幅広く使われている定番商品なのである。
プチプチが定番化した理由の1つに,2~3枚の樹脂フィルムの間に空気を封入しただけという構造の単純さがある。「単純なものほど工夫の余地が少ないため,それを超えるものが出てきにくい」(川上産業社長の川上肇氏)からだ。
実は,その構造自体は米国で発明されたもので,川上産業の独自性はその製造方法にある。同社の創業者である川上聰氏が文献で気泡シートの存在を知り,その将来性を信じて独自の製造方法を確立して商品化を果たしたのだ。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
余分をそぎ「用」を徹底
キングジム●ポメラ
2008年11月の発売から約1年間で,目標販売台数の3倍強に当たる10万台超の売れ行きを見せているのが,キングジムのデジタルメモ帳「ポメラ『DM10』」だ(図8)。文字入力に特化した小型・軽量のデジタルツールで,既存のノートパソコンやネットブック,あるいは手書きのメモ帳に対する不満点を解消したデジタル時代の新しい「メモ帳」といえる。
2009年12月には,その高機能版となるプレミアムモデル「DM20」を追加した。その出荷量も,目標の年間5万台を達成しそうな勢いだ。2010年2月には,普及版のフレンドリーモデル「DM5」も市場投入。製品ラインアップの拡充によって,よりきめ細かなニーズへの対応を進めながら,新たな定番商品としての地位を固めつつある。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕
インタビュー:時を経ても失われない魅力
皆川 明氏(ミナ チーフデザイナー)
色褪せない服を目指したきっかけは,さまざまな業界の中で特にファッション業界の商品が短期間に消費されていく現実に疑問を持ったことにあります。
ファッション業界では一般に,春/夏または秋/冬のシーズンごとに新製品を発表する。それらは,次のシーズンへの切り替わり時期にはもう,バーゲンセールで安く売られてしまう。デザイナーズ・ブランド全盛の時代にファッションを学んでいた私は,このサイクルに違和感を覚え,作り手も使い手もそれを「方程式」のように受け入れていることに疑問を持ちました。
〔以下,日経ものづくり2010年3月号に掲載〕