40歳を過ぎたある年の秋。松下電器産業(現パナソニック)の,ある音響関連事業部で商品企画部長の職にあった私は悩みに悩んでいた。その年の初秋,これまでにない斬新な新機能を引っ提げて鳴り物入りで発売した新製品が全く売れず,わずか1カ月で生産中止に追い込まれてしまったのだ。多くのヒット商品を生み出した経験があった自分にとって,これほどまでの空振りは初めて。自信作だったこともあり,自分でも信じられなかった。
〔以下,日経ものづくり2009年10月号に掲載〕
文化学院 理事長・校長(元松下電器産業 副社長)