リコー復活の原点となった「Caplio RR30」。その開発リーダーである湯浅一弘は,従来の半分以下という開発期間を設定し,自らがあらゆる問題に向き合うことで,成功させる。事業部長に昇進した湯浅は,次に伝統の「GR」復刻に挑む。

 高級コンパクト・カメラの代表格に育った「GR DIGITAL」。国内市場で大手メーカーに近い水準で売れているCMOSセンサを搭載したコンパクト機「CX1」。

 こうした商品の「原点」が,2002年9月にリコーが発売した「Caplio RR30」である。RR30は,シャッターチャンスに強いカメラを標榜していた。シャッター・ボタンが押されてから実際に撮像するまでの「レリーズ・タイム・ラグ」と撮影可能枚数において当時,ダントツに優れていた。

 こうした特徴が,一般の消費者を振り向かせたわけではない。しかし,チャンスにおける撮りやすさという課題を克服したRR30は,写真好きの心をとらえた。リコーの商品としては久々に,好調な売れ行きを達成した。

 リコーのカメラ部門にとってRR30が原点なのは,単に売れたからではない。メンバーの結束を固めた異例の開発プロセスがあったからだ。同社は,この機種で商品企画の原案が固まってから量産開始に至るまでの期間(以下,設計期間)を,従来の14カ月からわずか6カ月に短縮した。

何をすればいいのか

 リコーのカメラ部門は当時,赤字だったとみられる。自社用のASIC開発など夢のまた夢。レリーズ・タイム・ラグの短さといった特徴を実現するには,これまで採用したものとは異なるLSI(ASSP)を新たに選び,ファームウエアを徹底的に磨き上げる必要があった。それなのに,開発リーダーで,副事業部長の湯浅一弘(現在は執行役員 パーソナルマルチメディアカンパニー プレジデント)は「6カ月で開発しろ」と命じた。(文中敬称略)

『日経エレクトロニクス』2009年8月10日号より一部掲載

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