自分を育ててくれたオープンソース・ソフトウエアへの恩を,石黒邦宏(現・ACCESS 取締役常務執行役員兼CTO)は今も忘れていない。精魂を込めて開発したソフトウエアを公開することで偉大な先人たちへの仲間入りを果たし,シリコンバレーでの起業も経験した石黒は,今もプログラミングを続けている。その原動力は,“作る喜び”にあった。

(中央の写真:加藤 康)

 1997年6月,米国フロリダ州タンパ。石黒邦宏は,満を持してNANOG(North American Network Operators’ Group)の会議に臨んだ。最先端の技術が集まるNANOGでの初めての日本人講演者となった石黒は,「Zebra」の全貌を紹介した。

 UNIXマシン向けルーティング・ソフトウエアのZebraは,世界で初めてIPv6のルーティング・プロトコルを実装したほか,複数のプロセスを並行して稼働させる分散型アーキテクチャによって運用しやすさを高めている。こういった技術的な特徴のほか,米Cisco Systems, Inc.のルータ製品との高い互換性を備えることも,集まった技術者たちから評価された。

 NANOGでの発表の時点ではZebraは開発途上であり,未実装の機能も多かったが,石黒は聴衆の反応から確かな手応えを感じ取った。多忙を極める本業の合間を縫って,猛烈なペースで開発を続ける。そして1998年暮れ,ついにZebraの第1版が完成した。

GNUのプロジェクトに

 Zebraの開発中,石黒には心に秘めている夢があった。ZebraをGNUの正式プロジェクトにすることだ。受託でなく自分の趣味として書いたプログラムであれば,公開することに障壁はない。自らの成果を後世に残す,そしてオープンソースに恩を返すことを考えていたのだ。(文中敬称略)

『日経エレクトロニクス』2009年7月13日号より一部掲載

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