1980年代の初め,米国カリフォルニア州のテレビ工場に私は勤務していた。第2次石油危機後の深刻な不況で,米国では自動車産業だけでも約30万人(業界全体の40%に相当)がレイオフされ,私の工場も過剰な在庫と人員を抱えて深刻な状況だった。
リストラが当たり前だった当時,工場長は日本的経営の見本となるべく,ぎりぎりの挑戦をした。ノーレイオフ,その代わり「週休3日,賃金カット,昇給なし」というワークシェアリングである。
〔以下,日経ものづくり2009年6月号に掲載〕
ワークセルコンサルティング 代表取締役社長