「事故の予防安全においては,事故自体はもちろん,事故に至るまでの過程の分析も重要になる」。こう語る東京農工大学大学院教授の永井正夫氏らの研究グループは,交通事故の削減を目指し,ドライバーの危険な体験,いわゆるヒヤリハットの分析を行っている。その武器は,ドライブレコーダ。そこに記録された情報から,新たな知見が得られ始めた。

 信号のある交差点。目の前の信号が黄色に切り替わると,ドライバーはそのまま進入しようか,それとも停止しようか,判断に迷う。これは「ジレンマ」と呼ばれ,交通事故を誘発する要因の一つとされている。自車の速度Vを縦軸,自車から交差点手前にある停止線までの距離Lを横軸とした「L-V平面」を描くと,そこには「ジレンマゾーン」という理論的に危険な領域が存在すると考えられてきた(図)。

 具体的には,同ゾーンは同平面上の曲線L1と直線L2によって決まる。L1は,黄信号に切り替わったときの空走時間(ブレーキを踏むまでの反応時間)τを考慮した,通常の減速度における停止距離。L2は,黄信号点灯中(通常は3秒)に一定速度で進める距離だ。L1L2により区切られる四つの領域のうち,ジレンマゾーンΩDは「そのままの速度では交差点に進入できず,かつ,通常の停止もできない領域」と定義される。つまり,そのまま交差点に進入すると信号が途中で赤に切り替わりそうだし,かといって通常のブレーキ操作(減速度)では停止線でちゃんと止まれず,交差点内に入ってしまいそうという状況だ。どうしたらいいのか,微妙な判断を迫られるために危険と考えられてきた。

 ところが,だ。東京農工大学大学院教授の永井正夫氏らの研究グループは,実際の交通における危険領域は,こうした従来の学説における危険領域と必ずしも一致しないことを見いだした。その根拠となったのが,ドライブレコーダに記録されたデータである。

〔以下,日経ものづくり2009年5月号に掲載〕

図●黄信号時の交差点進入/停止の判断領域を示したL-V平面(a)と黄信号急停止事例(b)
同平面の縦軸は自車の速度V,横軸は自車から交差点手前にある停止線までの距離L。黄信号に対する空走時間τを考慮した,通常の減速度における停止距離L1と,黄信号点灯中に一定速度で進める距離L2によって区切られる四つの領域のうち,これまでの学説ではジレンマゾーンΩDが危険領域とされていた。図中のオプションゾーンΩOは,「そのままの速度で交差点に進入でき,かつ,通常の停止もできる領域」。なお,式L1中のdは通常の減速度で0.3G,式L2中のYは黄信号の長さで3秒とした。