出典:日経エレクトロニクス,2005年5月23日号,pp.124-133(記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

創刊900号特集では,見えない機器が実現する将来の応用例として,仮想的な時間旅行や,人間の脳と機械をつなぐBMI(brain machine interface)技術を取り上げた。現在も研究が進むこれらの技術は,そのままの形で実用化しなくても,さまざまな用途が派生する可能性がある。(2009/05/15)

「見えないエレクトロニクス」の先にある未来を占う研究開発が進んでいる。極端なアイデアでは,個人の行動を残らず記録し,情報の世界で「タイムマシン」を実現しようとの試みが始まった。脊髄せきずい損傷患者のために,脳とエレクトロニクス機器をつなぐ研究もある。いずれは健常者にも利用されるかもしれない。こうした研究は,そのままの形で一般ユーザーに広がらなかったとしても,新しいアイデアをはぐくむ苗床になりそうだ。

 センサやディスプレイが世の中にあふれ,ネットワークでつながり連携を始める――こうした環境の利用例として即座に思い描かれがちなのが,安全や安心の確保といった監視用途や,証券会社のディーリング・ルームなどの業務用途である。

 こうした用例は,あくまでも先駆けにすぎない。研究段階では,将来こうした環境があまねく広がった場合の使い道を,早くも検討し始めている。既に,個人の活動の完全な記録や,脳とコンピュータをつなぐインタフェースといったSF顔負けのアイデアが,出そろいつつある。これらがそのままの形で実用になるかどうかは不透明だが,少なくとも新たなアイデアを刺激し,はぐくむ,実験場の役割を果たしそうだ。

 個人の行動を完全に記憶することを目指す研究では,体に付けたカメラやマイクで個人が見聞きした内容を残すといった記録法の検討が進んでいる。単に過去を振り返るためではなく,蓄積したデータから個人の行動特性や嗜好を引き出し,将来を予測しようという発想から「タイムマシン」との名称で呼ぶ研究者もいる。現在は,収集した膨大なデータを,時間や場所などをキーにして検索するにとどまる研究が多い。蓄積したデータから有益な情報を抽出する技術の開発はこれからだ。

 脳とコンピュータをつなぐ研究は,基本的に脊髄せきずい損傷患者などに,体を操る能力を取り戻してほしいとの発想に端を発する。米国では既に,手術により脳に電極を埋め込んだ人が,考えただけで電子機器の簡単な操作ができることを確認した研究がある。今後は,センサの出力を脳に入力する研究が活発になりそうだ。いつかはサイボーグが実現するかもしれない。

「日常体験記録」は
タイムマシンになる

 SF作家の星新一の作品に『なぞのロボット』という短編がある。そのロボットは,生みの親である博士の後ろをただ付いて回るだけ。何も手伝わず,何もしゃべらない。「何のためのロボットなんだろう」と皆不思議に思った。1日が終わると,博士はロボットに「さあ,たのむよ」と命令する。ロボットは博士の代わりに,博士の日記を書き始めた。ロボットは,博士の身の上に起こったことをすべて記憶していたのだ。

「わたしは日記をつけるのが,めんどくさくてならない。そのため,このロボットを作ったのだ。しかし,こんなことはみっともなくて,とても他人に話すわけにはいかない」1)