出典:日経エレクトロニクス,2001年7月30日号,pp.98-107(記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

「ユビキタス・ネットワーク」を取り上げた,日経エレクトロニクス創刊800号特集の後半。高速ネットワークに常時接続できる世界が到来したときに,機器開発がどうなるかを探った。これまで機器の内部にあることが当たり前だった処理や蓄積といった機能が,ネットワーク上に溶けだしていく「超分散」環境が実現すると主張した。今では,手元の端末とネットワークの先にあるサーバーが協調して動作する環境は普通になりつつあるが,超分散が当たり前になるまでにはしばらく時間がかかりそうだ。(2009/05/08)

通信のユビキタス化と高速化が進むと,マイクロプロセサやメモリ,ハード・ディスク装置などの将来像が大きく変わる。機器の筐体に閉じ込められていたコンピューティングやストレージの資源がネットワーク上に溶け出し始めるからだ。溶けて機器から流れ出した資源はネット上で流通し,それを取り込むことで機器は自らの力を拡張する。筐体内に全機能を押し込めるという常識を捨てないと,新しい時代は語れない。

【図1 通信の急伸が,常識を砕く】デジタル機器の基本は3つ。データの「処理」と「伝送」,そして「蓄積」である。これらはずっと,調和を保ちつつ伸びてきた。それがエレクトロニクス技術の常識だった。しかし,その常識が覆される。ここに来て「伝送」がその他の伸びを完全に出し抜いたのだ。ユビキタス・ネットワークの時代は,この新たな秩序を前提に設計されていく。(図:本誌)
図1 通信の急伸が,常識を砕く
デジタル機器の基本は3つ。データの「処理」と「伝送」,そして「蓄積」である。これらはずっと,調和を保ちつつ伸びてきた。それがエレクトロニクス技術の常識だった。しかし,その常識が覆される。ここに来て「伝送」がその他の伸びを完全に出し抜いたのだ。ユビキタス・ネットワークの時代は,この新たな秩序を前提に設計されていく。(図:本誌)
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 情報技術の3要素,すなわち「処理」と「蓄積」,そして「伝送」の各技術は,10年以上にわたってほぼ一定のバランスを保ちながら伸びてきた(図1)。例えば,マイクロプロセサの動作周波数やハード・ディスク装置(HDD)の面記録密度,アクセス網のデータ伝送速度といった基本パラメータは,いずれもここ15年で100倍~1000倍程度に向上している。少々乱暴な議論かもしれないが,これまでは伝送と処理,蓄積の3要素が相似形を保ちながら,つまり基本的なアーキテクチャを変えないまま注1),量的な拡大に邁進してきたことを示しているといえよう。

注1)具体的には,スタンドアロンで動作することを基本にしたアーキテクチャだった。「これまでは通信路が細いことが前提だったので,機器設計としては端末とサーバを強化するしかなかった。これからは太い通信路を前提としたさまざまな試みがなされていくだろう」(松下電器産業 ソフトウェア開発本部 コアソフト開発センター 所長の南方郁夫氏)。

崩れるバランス

 しかし最近になって,異変が起きた。3要素のうち,ネットワークの伝送速度だけが突然,猛烈に伸びたのだ。その伸びは15年間で約30万倍にも達している。この突出した伸びによる歪みが,これまで保ってきた3要素のバランスを崩すことになる。そして,ネットワークを中心に据えたアーキテクチャへの再構築を促す。マイクロプロセサやメモリ,HDD,光ディスクなどの「あり方」も根本から揺さぶられる。

 「同じことが,以前に研究の現場で起きた。マイクロプロセサの動作周波数がまだ数MHz~数十MHzだったころ,通信技術だけGビット/秒の領域に達したのだ。そのころは『処理できないほど高い伝送速度なんて意味あるの?』と揶揄されたこともあった。いま面白いのは,その突出現象が大勢のユーザーの手元で起こり始めているということだ」(電気通信大学 情報工学科 教授の竹内郁雄氏)。高速ネットワークを前提として発案されたが,これまで研究室の中でくすぶっていた多くの技術――これらが日の目を見て一気に普及するための下地が整ってきたのである。