創刊600号の記念特集が取り上げたのは,当時開発中だった「Windows 95(開発コード名:Chicago)」である。パソコンを人と人をつなぐメディアにするという,米Microsoft社の野望を実現する第一歩と位置づけた。 この記事から約1年半後の1995年8月に発売されたWindows 95は,Windowsパソコンがオフィスや家庭にあまねく浸透する礎になった。(2009/04/24)
パソコンを中心に据えて,OA機器や通信機器を統合しようという動きが活発になり始めた。米Microsoft Corp.が,OSの技術をパソコン以外の分野にも適用しようと,積極的に動いている。「なんでもパソコンにつなぎたい」というのが同社の本音。布石として,Windows 3.1やMS-DOSに代わる新しいOS「Chicago」を1994年後半に投入する。OSのカーネルを根本的に作り変えた。プリエンプティブなマルチタスク処理機能を備える。
IBM PCが誕生して13年が経つ。IBM PCに採用されたOS,すなわち米Microsoft Corp.のMS-DOSは,この13年間,機能のツギハギを繰り返すことで,ユーザの要求に対応してきた。今,転換期を迎えている。Microsoft社はOSの中核部分であるカーネルを作り直す。Windows 3.1やMS-DOSに代わる新しいOS「Chicago(開発コード名)」を,1994年後半に出荷する。
Microsoft社がOSの見直しを決断した背景には,変ぼう著しいパソコンの利用形態がある(図1)。
計算を主な目的として開発されたパソコンは,いまや「文房具」になった。文書やグラフを作成するうえで,パソコンは欠かせない道具としてオフィスに定着した。ワープロ・ソフトや表計算ソフト,図形描画ソフトが進歩し,電子的な紙とペン,消しゴムをパソコン上に実現できるようになった。マウスを使ったGUI(graphical user interface)の開発が,パソコンを文房具に変えるうえで大きく貢献した。パソコンを文房具感覚で扱えるようになった。
計算機から文房具へと変貌したパソコン――次の目標は何か。人と人を結ぶコミュニケーションの道具,いわゆるメディアとしてパソコンを普及させることである 1)。いまでも情報交換の媒体としてパソコンは使われている。パソコン通信や社内ネットワークの電子メールが一例である。しかし現状では制約が多い。メディアとは呼べない。やりとりできる情報に限りがあるし,コミュニケーションの相手も制限される。パソコンがメディアになるには,こうした制約を取り除くことが不可欠になる。