出典:日経エレクトロニクス,1990年5月28日号,pp.120-121(記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

日経エレクトロニクスが創刊500号の節目を迎えたのは,1990年代に突入した直後だった。これに先だって掲載した7号連続特集「1990年代のエレクトロニクス」を受けて,同誌は同じタイトルの講演会を開催。その内容をまとめたのが500号の特集記事である。この記事が予測した,情報通信技術が家庭で花開く世界は実際に到来した。しかし,その時代の主役が日本企業だったとは言い難い。(2009/04/17)

創刊500号記念特集の目次
創刊500号記念特集の目次
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「1990年代のエレク卜ロニクス」シリーズは,工業化から次の時代への転換を強く意識しながら連載された。講演会のテーマ選択にも同じ背景が意識されている。次の時代をどう呼ぶにしても,ことにエレクトロニクス産業にとっては,情報通信システムの動向は重要である。また1990年代は,情報通信技術が家庭で花聞く時代となろう。時代の変化は技術者の仕事と暮らしを直撃する。消費者,生活者の視点と意識が,技術者にも要求される。1990年代には二律背反型の問題が山積している。それらの問題を二律背反を超える形で解決する道を開くのに,技術者の役割は小さくない。

 1989年11月27日号から「1990年代のエレクトロニクス」と題するシリーズ特集を7号連載した。今号の特集は,同じタイトルのもとに1990年3月15日に催した講演会の内容を整理したものである。本号は『日経エレクトロニクス』が創刊されてから通算で500号にあたる。

 講演会のテーマとして講師にお願いしたのは「電子・情報通信システムの家庭への浸透」と「情報通信に関する技術,製品,市場の見通し」であり,パネル・ディスカッションに選んだテーマは「1990年代の電子技術者」である。時代の背景についての私たちの考えは,これらのテーマ選択に反映しているはずである。

工業化とそれ以後で時代を分ける

 10年オーダの時間スケールでものごとを考える場合,当然時代区分が問題になる。私が強く意識したのは,いわゆる工業化の時代と,それ以後の時代である。この二つの時代を分ける指標は何か。私自身は製造業の就業者数が全就業人口に占める比率を重視してきた。工業がさかんになると,人口が農業から工業(製造業)に移り始め,製造業就業者数の比率が増えていく。工業人口比率が増大傾向にあるとき,その時代を工業化の時代と呼ぶのに違和感はない。

 工業化の次の時代をどう呼ぶかはともかく,製造業に従事する人口の比率が増大していた時代と,減少に転じてから以後の時代は,区分して考えないわけにはいかない。日本で製造業就業者の比率が増加から減少に転じたのは,1970年代の初頭である。象徴的には,1973年の第1次石油ショックの年が,工業化の時代とそれ以後を分ける。同じ年に,原油の輸入量,鉄鋼の生産量が増加から減少に反転した。本誌が過去に何度も指摘してきた通りである。

1970年代に情報処理と情報通信の主役がそろう

 1970年代の初頭は,エレクトロニクスにとっても大きな変革期である。シリコン集積回路がLSI(大規模集積回路)の段階に達し,1Kビットの半導体メモリが市場に出る。4ビットのマイクロプロセサ(当時の呼び方では1チップCPU)が登場する。光ファイバの伝送損失が 20dB/kmまで下がり,半導体レーザの室温連続発振が実現した。情報処理と情報通信の時代の主役がここにそろう。『日経エレクトロニクス』の第1号が世に出たのもまさにこのとき,1971年4月12日である。以来19年余を経て,いま 500号に及ぶ。

電子産業は1985年に大きく転換

 工業化の時代が終わりつつあるなか,エレクトロニクスは産業のなかで重みを増していった。ただし1970年代に関するかぎり,電子産業の基本は製造業(工業)である。円高は進行していたが,工業製品の生産と輸出が成長を支配していた。

 この構造に転機が訪れたのは1985年である。輸出から内需へ,生産大国から消費大国へ,圏内一貫生産から海外生産と外部調達へ,コストダウンと大量生産から高付加価値製品の多品種少量生産へ。転換は激しく急で,技術者の仕事と生活を直撃した。新卒学生の製造業離れも顕在化した。