出典:日経エレクトロニクス,1982年9月27日号,pp.145-162(記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

日経エレクトロニクス創刊300号の人工知能特集から,全体の総論である論文を再録した。1980年代初頭の先端技術と研究開発の方向性を展望したものである。当時,京都大学工学部教授を務めていた,長尾真氏の筆による。人工知能の研究から,音声認識や機械翻訳,検索やデータ・マイニングなど,多岐にわたる技術が派生したことがうかがえる。(2009/04/03)

要点 人間の知的動作をモデル化する人工知能の研究は1950年代末に始まり,コンピュータの発展とともに格段の進歩を遂げた。人間と同様にコンピュータが話を聞き,物を見たり,論理的判断を行い,日常の言葉を理解するのも夢とはいえなくなってきた。たとえば英語や日本語で応答するシステムが一部で実用化されている。人工知能の一般的基礎となるのは,知識の表現形式,意味の取り扱い,推論,自動学習システム,人工知能向きソフトウェア技法などである。人工知能の研究は,心理学,医療診断,機械翻訳,知能ロボッ卜など広い分野とかかわりを持ちながら,常に新しい問題と取り組み続けていくことになろう。

略語一覧(ABC順)
CAI: computer aided instruction
KRL: knowledge representation language
MIT: Massachusetts Institute of Technology
VLSI: very large scale integrated-circuits

人工知能とは何か

 人間は物を考える,連想する,問題を解く,目で見る,耳で聞く,など種々の判断をする。こういった高度の機能をこれまでの機械に付与することは想像すらできなかった。機械は与えられた単純で単能な仕事のみを繰り返して行う以上にはしないものであるというのが通念であった。ところがコンピュータの出現によって機械が従来の機械の枠組みから出て,いろいろなことができるようになってきた。すでに過去30年の間に非常に多くのことができるようになってきたという実績もある。そこで改めてこんな難しいことも,ひょっとしてコンピュータにできるのではないかという希望を抱かせるようになり,最近ますますコンピュータのできることの可能性に対して関心が集まってきたといえるだろう。

 そこで改めてコンピュータにできることは何か,人間の行うように仕事ができるか,知能とは何かを考えてみたくなる。コンピュータは万能なのか,人間の頭脳にどこまで迫れるかなどのテーマは,コンピュータが出現した当時からすでみにいろいろと議論きれてきたことである。1),2)このテーマは非常に魅力あるテーマてあり,情報科学だけでなく, 心理学においても論じられているが,結局のところ明確な答えは得られず,知能とは何かについて,はっきりした定義を下すことができない。

図1 テューリング・テスト
図1 テューリング・テスト

 計算の理論で有名なTuringは機械が知的であるかどうかを判定するために,いわゆる“テューリング・テスト"を提唱した。これはほぼ次のようなものである。“図1に示すように壁によって隔てられた二つの部屋の一方に人間Hと入出力タイプライタを置き,壁の向こう側の部屋には人間か機械がおいてあり,タイプライタは線でこの部屋につながれている。人間Hはタイプライタをたたき,壁の反対側にいる人間か機械にメッセージを送り,応答を得る。Hは壁の向こう側にいるのが人間か機械かを知ろうとして,いろいろな問いかけをするが,どうも人間がいるらしいと思う。そのような応答を返してくるような機械が作れたら,機械は知能を持ったということができ,人工知能が実現できたことになるだろう”というのがその定義である。

 現在のコンピュータはとてもそのようなレベルには程遠い存在であるが,Turingの考えたタイプライタによる言葉のやりとりのほかに,カメラなどによる画像の入力やブラウン管への表示,音声の認識と音声の合成出力など,いわゆる人間の持つ種々の感覚器官を代行する装置が発達し,人工頭脳につけられるようになってきて,そのような面からも,できるだけ人間の頭脳活動に近づこうとする努力がなされている。

 人工知能は,このように人間の知的能力をできるだけよく模擬することのできるシステムを作ることに目的がある。その最も中心となるのは,人間の行う知的活動のからくりを明確な形でモデル化し,これをプログラムによってコンピュータの上に実現することである。感覚器官にあたる各種の入出力装置の開発も重要であり,これらと人工知能ソフトウェアとが組み合わされて発達し,学習能力を持つようになって初めて,人間的な人工頭脳,人工知能が実現されたということになるだろう。その道は遠い。