1995年にビデオ・カメラ事業から撤退し,デジタル・カメラ市場に参入した三洋電機。主力のOEM品との衝突を避けるため,自社のデジタル・カメラに動画機能を搭載したものの,その画質は到底ムービーと呼べる水準ではなかった。同社は動画機能の高画質化に乗りだすが…。

iDshotの後継機では1GバイトのSDメモリーカードにテレビ品質の動画を1時間記録することを目指し,従来のMotion JPEGに代わり,MPEG-4を採用した。三洋電機の資料から。
iDshotの後継機では1GバイトのSDメモリーカードにテレビ品質の動画を1時間記録することを目指し,従来のMotion JPEGに代わり,MPEG-4を採用した。三洋電機の資料から。

「塩路,例のPCムービーが横断化プロジェクトのテーマに選ばれたよ。あきらめなくて良かったな」

 2002年,三洋電機で動画撮影が可能なデジタル・カメラ,いわゆる「動画デジカメ」の開発を進めていた塩路昌宏(現・デジタルシステムカンパニー DI事業部 DI企画部 DI企画課 課長)は,上司である重田喜孝(現・マーケティング本部 アドバンストデザインセンターデジタルシステムデザイン部部長)の言葉に耳を疑った。塩路が企画した動画デジカメ,通称「PCムービー」は,その開発継続が,ほぼ絶望視されていたからだ。

 これまで塩路らは,PCムービーの商品化に反対する事業部長をどうしても説得できず,途方に暮れていた。しかし,カンパニー・トップが推進する横断化プロジェクトのテーマに選ばれたとなれば,話は別である。塩路はまさに,九死に一生を得た思いだった。これで開発を続けられる─。実はこの時,開発中止を免れたPCムービーこそ,後の「Xacti DMX-C1」の原型である。

「横断化プロジェクトを使え」

 話は2001年にさかのぼる。塩路は本格的な動画デジカメ「iDshot」の開発を終え,その後継機であるPCムービーの開発に着手していた。 iDshotは,VGA(640×480画素),30フレーム/秒の動画を撮影できた。PCムービーはそれを小型・低コスト化した普及モデルという位置付けである。具体的には,「お母さんが気軽に毎日使えるカメラを目指した」(塩路)という。女性でも抵抗がないカジュアルな動画デジカメを作れば,例えば平日に子供の様子を撮影しておき,休日に家族で楽しむといった用途が開けると考えた。

 しかし,PCムービーの開発は開始早々,暗礁に乗り上げる。先に発売したiDshotが売れなかったからだ。(文中敬称略)

『日経エレクトロニクス』2009年4月6日号より一部掲載