【事故は語る】イージス艦と漁船衝突事故に裁決 部署間の連携や見張り体制に不備

2008年2月19日午前4時すぎ。海上自衛隊のイージス艦「あたご」と,漁船「清徳丸」が千葉県の房総半島沖で衝突し,清徳丸に乗っていた父子二人が死亡した(図)。横浜地方海難審判理事所は「特別調査本部」を設置し,事故調査を実施。2009年1月22日の裁決で,事故の主因はあたごの不十分な動静監視にあるとただした。

 京都府の舞鶴港を基地とし,海上自衛隊護衛艦隊の第3護衛隊群第3護衛隊に所属するイージス艦「あたご」は2008年2月6日午前10時(現地時間),艦長ら281人を乗せ,寄港先である米国ハワイ州の真珠湾を出発した。目的地は,神奈川県の横須賀港である。航海は,「艦橋」と呼ぶ中枢部が指揮し,「戦闘情報センター(CIC)」がそのサポートに当たる。悲劇は,真珠湾を出てから約2週間後,同月19日(日本時間)に起きた。(以下,「日経ものづくり」2009年3月号に掲載)

図●衝突現場
図●衝突現場
千葉県・房総半島の野島埼灯台から190°,22.9海里(42.4km)の地点。清徳丸は南西方向に,あたごは北西方向に航行していた。