日経ものづくり ドキュメント
新シリーズ

プロデュース 中小企業上場の軌跡 最終回

真冬の花火

【前号のあらすじ】
佐藤英児が手探り同然で立ち上げ,独自の技術や製品開発を進めてきたプロデュース。設立早々の不渡りや開発の遅れといった幾多の危機に直面しながらも,それらを一つひとつ乗り越えて成長を遂げた。2004年秋には株式上場を目指し,長野県松本市に新工場を構える。だが,その直後,本社のある新潟県長岡市が「新潟県中越地震」に見舞われた。しかし従業員が一丸となって復旧に努め,短期で生産再開。彼らは再び上場に向けて動き始めた。



 プロデュースを突如襲った,2004年10月の「新潟県中越地震」。工場の床は割れ筋交いが曲がるなど甚大な被害を受けたものの,社長の佐藤英児を筆頭に従業員の懸命な努力や,軌道に乗り始めたばかりの松本工場の迅速な応援部隊の派遣により,比較的早い段階で復旧の道筋が見えてきた。
 とはいえ,2005年12月のジャスダック上場に向けた準備の遅れはいかんともし難い。売り上げにも響く。2004年6月期の売上高は18億円。1年後の2005年6月期には30億円にまで拡大し,半年後の上場に弾みをつけるつもりだった。しかし,それも怪しくなってきた。今回の地震で新潟県の協力工場などが大きな打撃を受け,震災前の状態に完全に戻るには数カ月はかかりそうだったからだ。
 こうした現実にも,上場を予定通り果たすという佐藤の決意に揺らぎはない。それこそが,震災に見舞われた従業員の支えなのだから。事業の遅れは下期で取り戻す。本業が以前にまして忙しくなる中,上場準備を並行して進めていく。
 主幹事証券会社との面談,質問書への回答の作成,上場申請用の目論見書の作成・・・などなど,事務手続きは山ほどある。これらをすべて片付けて,ようやく上場申請に。その後,ジャスダックと面談し首尾良く上場が認められたら,投資家へあいさつ回りをして無事上場となる。