日経ものづくり 特集

安全を脅かす事件や事故。
それらはしばしば事実の隠蔽や改ざん,手抜きといった組織の不正が元凶となっている。 これをただせるのは,製品や設備の情報に最も通じた内部の技術者のはずだ。 実際,これまでもいくつもの不正が内部告発によって白日の下にさらされてきた。 三菱自動車のリコール隠ししかり,東京電力の原子力発電所データ改ざんしかり。 技術者としての社会への責任と勇気が安全を守る砦となる。 (高野 敦,吉田 勝)

Part 1 編集部への手紙

   1.「関係者が隠蔽しようとしている」
   2.「公表されたのは氷山の一角」

Part 2 組織と公益

   裏切りではなく被害の防止
   心ある者に損はさせない

Part 3 告発するということ

   1.手抜き工事をただす
   2.産地偽装をただす
   3.不正をただす


日経ものづくり 特集

編集部への手紙
ブレーキパッド編

「関係者が隠蔽しようとしている」
アスベスト代替材に発がん性の恐れ

 「訳あって匿名ですが,下記事実は真実です」
 2006年2月,本誌編集部あてに届いた差出人不明の1通の手紙。それはこう始まり,次のようにつづられていく(図)。
 「(2005年8月号の『日経ものづくり』に)チタン酸カリウムウイスカの危険性が記載されていましたが,それが今月に現実のものとなりました」
 「チタン酸カリウムウイスカはブレーキパッドに多く含有されていて,(中略)ブレーキパッド摩擦材はブレーキをかけるごとに摩耗していき,大気中に拡散されます。(人体に対し危険であるとの情報が)WHO(世界保健機関)のWebサイト上にアップされた2月上旬から,関係各社は大騒ぎしておりますが,中にはこの情報を隠蔽しようとする動きがあるようです」
 手紙は,ブレーキパッド摩擦材にアスベスト代替材料として使われているチタン酸カリウムウイスカの人体への健康影響を指摘。それを裏付ける最新情報を知った一部の関係者がその事実を隠蔽しようとしているのではないかと,本誌に告発したのだ。そして最後に,こう結ぶ。
 「(ブレーキ摩擦材メーカーを)中傷しているわけではなく,むしろこれほど重要な問題は速やかに解決されるべきと思い,情報を提供するのがよいと思いました」
 手紙の差出人は,ノウハウが多く詳 細が伏せられることが一般的なブレーキパッドについて,構成材料をはじめとする技術的内容や利用実態に明るいこと,開発最前線の動きを把握していることから,ブレーキ関係の技術者と推定される。さらに,告発の裏付けとなるWHOの資料をきちんと同封してきたことからは実直な人柄を感じ取れる。氏はおそらく,周辺で起きている不穏な動きに対し悩み,個人の力ではどうすることもできずに告発という手段に訴えたのだろう。本誌はこの技術者の良心に応えるべく,取材を開始した。

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図●編集部に寄せられた手紙
ブレーキパッドなどに使われているチタン酸カリウムウイスカの発がん性が,WHOの調査で「high」とされたこととともに,ブレーキ摩擦材メーカーなどがその事実を隠そうとしているのではないかとの懸念を訴えている。


日経ものづくり 特集

編集部への手紙
電解コンデンサ編

「公表されたのは氷山の一角」
パソコンやゲーム機で頻発する不具合

 2006年1月,日経ものづくり編集部あてに「事故の無いものづくり」という件名のメールが来た。そこには,こう記されている。
 「家電,自動車,半導体などの電気製品には電源があり,必ず電解コンデンサが使われています。ところが,電解コンデンサの不良や,電解コンデンサを使った製品の設計ミスで多くの問題が発生しており,中には公表されずに水面下で処理されているものもあります」。
 「多くの問題が発生しており」というのは,確かに事実だ。電機業界では2002年秋に,一部台湾メーカー製コンデンサの品質不良によって,パソコンのメインボードや組み込み機器向けのボードで不具合が続発(図)。この事態に慌てた機器メーカーが,日本メーカー製のコンデンサを求めて奔走した。
 自動車業界でも,マツダが2005年5月12日,ABS制動用の減速度検知器に使用したコンデンサに液漏れの可能性があるとして「カペラカーゴ」「クロノス」など6車種計1万3297台をリコール。コンデンサの電解液が同一基板上にあるICの端子に付着すると,端子間が短絡。ABSが正常に動かず,制動距離が長くなる恐れがあった。
 このようなコンデンサ絡みの不具合は,さまざまな業界・製品で見られる。電解コンデンサに限らず,コンデンサは抵抗器やインダクタと同様,電気回路に使用する基本的な受動電子部品であるだけに,その応用分野は広い。多くの技術者が,直接ではないにしろ,コンデンサを使用する製品に何らかの形で携わっているだろう。
 加えて,公表されている不具合事例の裏に,人知れず処理されている事例もあるという。差出人は,本名を名乗った上で「会社名を伏せてもらえれば,こちらで把握している事故情報も提示します」と書いてきた。事故情報は,技術者にとって貴重な“参考書”だ。何より,報道機関への情報提供という自らも危険を冒す姿勢に「事故の無いものづくり」を実現したいという意志を感じた本誌は,メールの差出人に連絡を取った。

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図●電解コンデンサ
写真はパソコンのメインボードに使われているもの。写真と本文は直接関係ない。


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組織と公益

裏切りではなく被害の防止
心ある者に損はさせない

「内部告発は会社への裏切り」という認識は,あくまで企業の論理。 社会はその有意性に気付いた。公益を目的とした告発者は法律で保護する。 ならば,製品や設備の安全を守るべき技術者も考えておく必要がある。 不正の現場に,自分が立ち会う可能性だってあるのだから。

 三菱自動車のリコール隠し,東京電力福島第一原子力発電所の自主点検記録改変,雪印食品(2002年4月に解散)や日本ハムの食肉産地偽装?。これらは,いずれも内部関係者の情報提供によって発覚した。日本では,ともすれば“裏切り”と解釈されがちな内部告発だが,ここ最近は「企業の不正を明るみに出すための有効な手段という認識が社会に広がりつつある」と,ジョーンズ・デイ法律事務所弁護士の米津航氏は証言する(表)。
 特に製造業の場合,安全を軽視した不正が後を絶たない。冒頭に挙げたリコール隠しや点検記録改変は,その典型例だろう。このような不正を白日の下にさらすための手段として,内部告発に期待が集まっているのだ。

具体的な供述が決め手に
 1次情報を知り得る人の証言だけに,内部告発は絶大な威力を発揮する。例えば三菱自動車のリコール隠しが発覚したきっかけも,同社の従業員と思われる匿名の人物による通報とみられている。
 それは2000年6月,運輸省(現国土交通省)への1本の電話だった。声の主は,同社が組織ぐるみでリコール隠しをしていること,クレーム情報を二重管理していること,書類をロッカールームに秘匿していることなどを立て続けに証言した。いわゆる「ヤミ改修」である。
 一般に,匿名での通報は実名のそれよりも信頼性が落ちる。いったん電話を切れば二度と連絡が取れないので,供述の真偽を確かめるのが難しいからだ。しかし,前出の説明の内容は書類の隠し場所などに関して具体性が高かったため,同省は信頼できるものと判断。翌7月には監査に入り,リコール隠しの証拠を押さえた。リコール隠しの手口や書類の隠し場所は,ほとんど通報の通りだったという。

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表●内部告発によって発覚した不正
ここ最近の事例。日本弁護士連合会消費者問題対策委員会著『通報者のための公益通報ハンドブック』(民事法研究会)pp.9-11に掲載されている表から本誌が抜粋した上で加筆・修正した。


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告発するということ
「手抜き工事をただす」

ボルトの再締結工事で「空打ち」
進言を無視し続ける元請けと対峙

2005年2月,西日本旅客鉄道(JR西日本)は,子会社の不正行為を明らかにした。 山陽新幹線の保線工事において,ボルトの締め付け確認を意図的に怠っていたのだ。 隠し続けてきたJR西日本が事実の公表に追い込まれた背景には, 保線の職人を自負する孫請け会社社長の「意地」があった。

 「このまま黙っていれば,あの手抜き工事がなかったことにされてしまう。それならばもう,言うしかないと思いました」
 複雑な表情でそう語るのは,JR西日本子会社のレールテック(本社大阪市,2004年12月に西日本機械保線から改称)より長年にわたって保線作業を請け負ってきた企業の代表取締役社長。ここでは,P社のQ氏としておく。
 このQ氏,JR西日本とレールテックの両社を相手取った訴訟の真っ最中だ。P社は,レールテックから手抜き工事の指示を受けたため,この事実をJR西日本に告発したところ,レールテックから一方的に請負契約を解消された。これを不服としたQ氏が,提訴に踏み切ったのだ。
 それまでP社は,レールテックが担当する地域の保線業務の多くを手掛けてきた。保線に関してはノウハウもあるし,作業に必要な資格や経験を持つ従業員も抱えている。機械や工具も自前でそろえた。レールテックにとっては申し分ない下請けだったはずだ。
 「告発といっても,レールテックを飛び越えていきなりJR西日本に伝達したわけではありません。レールテックに改善を申し入れるなど,こちらはきちんと手順を踏んでいました。相手のためを思ったからこそ告発したのに,まさか一刀両断でバッサリやられるなんて・・・。正直な話,思いもよりませんでした」


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告発するということ
「産地偽装をただす」

立入禁止の倉庫で牛肉入れ替え
脅しの電話に込み上げた怒り

世間を騒がせた雪印食品の2001年の牛肉産地偽装事件。 牛肉を保管していた倉庫会社,西宮冷蔵社長の水谷洋一氏が, 新聞社に偽装工作があったことを認めたのがきっかけで大きく報道された。 中小企業が得意先,しかも大企業の不正に敢然と立ち向かう。

 西宮冷蔵(兵庫県西宮市)社長の水谷洋一氏。雪印食品 の牛肉産地偽装を気付いた当初は「告発するつもりなどなかった」という。逆に,得意先の雪印食品をかばおうとしたくらいだ。それが,あることをきっかけに水谷氏の胸の内に私憤が芽生え,義憤そして内部告発へと発展していく。一連の事の起こりは2001年10月31日の水曜日だった。

社員も立ち入り禁止
 その日,雪印食品関西ミートセンターの社員8人が,荷を保管してある西宮冷蔵を訪れた。水曜日は,神戸の中央市場も関西ミートセンターも定休日。彼らはわざわざ,倉庫の出入りの少ないその日を狙ってやって来たのだ。
 こうした場合,極低温下の倉庫内での安全を確保するために,西宮冷蔵の社員が随行するのが慣例。しかし,その日だけは様子が違っていた。
「今日は立ち入り禁止とします。我々の作業中は中に入らないでください」
 雪印食品関西ミートセンター長の菅原哲明氏は西宮冷蔵の社員にそう言い残し,7人の部下を引き連れて-30℃の冷凍倉庫内へと消えていった。そこで行われていたのが,日本中を揺るがせた,外国産牛肉を国産牛肉に見せ掛ける「偽装工作」。「Rangers Valley Beef」と書かれたラベルが張られた箱から冷凍されたオーストラリア産牛肉を取り出し,雪印ブランドの箱へ詰め替えていたのである。作業は朝から夕方6時ごろまで続き,日が傾くころには今朝まで影も形もなかった国産牛肉13.8tがこつぜんと現れた。西宮冷蔵の目の届かないところで。
 この雪印食品の不穏な行動を水谷氏が知ったのは,翌日のことだった。
 「何かやったな,とは思いましたけど,正直あまり深刻には考えませんでした。我が社の当時の売り上げに占める雪印食品の割合は1割程度。さほど多くはないとはいえ,相手は大事な顧客。しかも全国に名の知れた大手ブランドですから,余計な詮索はしませんでした」
 11月に入ると,西宮冷蔵は年末年始に向けて忙しさが増していく。水谷氏は仕事に追われるうちに,この日の記憶は次第に薄れていった。


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告発するということ
「不正をただす」

会社に自浄作用は期待できない
ならば技術者の自分が一石を

勤務先のメーカーが,新製品の開発に当たって法を犯していることを告発した技術者のA氏。 誰もがその不正を見て見ぬふりをして済ませている中,独り立ち上がった。 それは会社の将来とユーザーへの責任を案じればこその行動だった。 A氏が本誌のインタビューに答える。

 「告発することで自分に何かメリットがあったわけではありません。でも,顧客に対する裏切り行為だけは絶対に許せなかった」
 こう憤りをあらわにするのは,メーカーX社に勤務するA氏。A氏は,X社が開発した新製品についての違法性を告発した技術者である。
 この告発は,現在も継続中であるため詳細な内容は紹介できないが,実は製品開発プロジェクトは,その発足当初から法的な問題を抱えていた。

歯止めが利かなくなる
?当初から法的な問題があると認識していたにもかかわらず,放置してしまったのはなぜですか。
 新製品の開発においては,多くの解決しなければならない課題があります。それは技術的な課題はもとより,デザイン,コストなど,多岐にわたります。その中には法令遵守も含まれますが,開発者の立場からすると,どうしても後回しにしてしまいがちです。ところが,それを放置している間に技術的な課題が解決されると,一気に実用化へと傾いていってしまいます。そこで,開発の最終段階になって,さてどのように対処したらいいのか?となってしまったのです。

?その法令違反に対し,X社はどのような対応を取っていたのですか。
 開発中は特に対策は講じていませんでした。製品が完成して,あとは法的な問題を解決するだけとなった段階で,それをごまかすために不正とも取れる行為によって表面的に取り繕ったのです。本来なら,さまざまな検査や試験を行わなければならないはずだったのですが。

?会社の姿勢に対してどう感じましたか。
 こんな手法を許してしまったら,歯止めが利かなくなる。しかも,これで大きな利益を上げるようになったら,後には戻れません。そうなる前に,何とかやめさせなくてはと思ったのです。

?会社に不正をやめさせるような働き掛けはしませんでしたか。
 会社は十分に違法性を認識していました。だから,製造を中止するよう求めたところで,まともに取り合ってくれるはずがないと思っていました。揉み消されるだけです。そもそも会社が組織ぐるみで犯している不正行為には,社内の自浄作用は期待できないと思います。