本記事は、日本機械学会発行の『日本機械学会誌』、第118巻第1158号(2015年5月)に掲載された記事の抜粋(短縮版)です。日本機械学会誌の目次、購読申し込みなどに関してはこちらから(日本機械学会のホームページへのリンク)

[1]どうしてここで「原発存続問題」を取り上げるのか

 2011年3月11日に福島第一原発事故(以下、福島事故)が起きた。それ以来、日本の技術倫理教育において、最も関心の高い事例は「原発存続問題」になった。

 筆者が思うに、日本人学生向けの技術倫理教育の講義の中で、いきなりこの事例を取り上げると混乱するので止めたほうがよい。多くの学生は原発の好き・嫌いを感情的に主張し合うだけで、議論が噛み合わないからである。好き・嫌いの前に福島事故を勉強すべきである。実際の事故は複雑だ。とくに福島事故は複雑で、単純に東電が悪い、菅首相が悪い、原子力ムラが悪い、と責任を追及しても全体像はつかめない。

 筆者が福島事故において最大の痛恨事と言いたいのが、テロ対策条項B.5.bの看過である。米国原子力規制委員会(NRC)は、2001年9月11日の同時多発テロで4機目が原発に突入したかもしれない、と想定して減災対策を考えた。ところが、日本の原発関係者はこれを拒んだのである。この通りに可搬バッテリーやエンジン付きコンプレッサ、可搬ポンプなどを準備し、燃料プール用の非常用注水配管を設置していれば、少なくとも2、3、4号機の燃料損傷や水素爆発は安価に防げたはずだと分かり、嘆息した。