今、ようやく、電池が自動車に欠かせないものとなりつつある。

 日本に最初の自動車が入ってきたころを想像させる資料としては、フランス人画家のG.F.Bigot氏が1898年に発刊した『極東にて』が有名だ(図1)1)。同氏の絵は、初めて見る自動車に驚く日本の人々や、得意げな車上の外国人の表情をよくとらえている注1)。そして自動車は、排気ガスを派手にまき散らしている。

G.F.Bigot=Georges Ferdinand Bigot(1860~1927年)。風刺画を得意とするフランス人の画家。1882年に来日し、日本を離れる前年の1898年に画集『極東にて』を発刊した。
注1)漫画や風刺画の研究家である清水勲氏は『ビゴーが見た日本人』の中で、「この絵は日本に自動車がいつ入ってきたかを物語る貴重な資料だ」と指摘した。清水氏が指摘するまで、日本に最初の自動車に持ち込まれた年は1890年とされていた。同書によると、日本に持ち込まれたこの自動車の価格は6000円。1907年(明治40年)の白米10kgの価格は1円56銭だったそうだから、現在の5500円/10kgという価格と比較して試算すると、この自動車はおよそ2100万円となる。
図1 日本最初の自動車か?
フランス人画家のBigot氏が1898年に発刊した『極東にて』に描かれている自動車。
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 以来、自動車は110年近く、炭酸ガス(CO2)や公害物質を吐き出し続けてきた。排気ガスをなんとかしなければという機運が高まったのは、20世紀後半のことである。LEV(low emission vehicle)やULEV(ultralow emission vehicle)、ZEV(zero-emission vehicle)という考えが生まれた。特に、ZEVを内燃機関で実現するのは困難である。そこで、電気自動車(EV)やハイブリッド車(HEV)が開発されるようになった。

 排気ガス規制も当初、公害物質がその対象だった。だが近年、地球温暖化防止の観点から、CO2排出削減の重要性が増してきた。また、化石燃料の枯渇が懸念され、自動車の脱石油化も叫ばれるようになった。

 自動車向けの電池開発には長い歴史がある。電池が化石燃料を代替することは、電池技術者にとって一つの悲願でもある。筆者がソニーに入社したのは1960年代半ば。そのころ、既にソニーでは自動車向けの電池開発を始めていた。当時、我々が挑んでいたのは空気電池である。この空気電池が最近、EVの盛り上がりとともに、“ポスト”Liイオン2次電池(LIB)として再び注目を集めている。