量産工程の見直しが必要だという決定的な評価データが筆者の元に届いたのは、新装したLIB製造工場(福島県郡山市)のお披露目パーティーの開催当日である(図1)。やっとここまで来たという高揚と安堵感に浸っていたまさにその時、落とし穴に真っ逆さまに落とされてしまった。

図1 1992年7月3日のLIB量産工場落成披露パーティー
ソニー・エナジー・テックが福島県郡山市に建てたLIB量産工場お披露目のまさに当日、量産ラインで造ったLIBの性能に問題があるとの報告が筆者の元にもたらされた。

 だが、意外に思えるかもしれないが、実は筆者は冷静だった注1)。似たような苦渋をその10年ほど前に一度なめていたからである。当時、筆者は、スピーカーの振動版用にポリオキシメチレン・ウイスカを合成していた1~2)。成功すれば、世界初の有機高分子ウイスカの実用化という名誉を手にできる。小規模量産用の合成装置を完成させ、材料を仕込み、反応が完了するのを一晩待った。いよいよ反応釜のふたを開ける時がやってきた。ネジやナットを外すのももどかしく、やっとの思いでふたを取って中をのぞき込んだら、1本のウイスカも存在していなかった。もぬけの殻、いや“間抜けの空”ともいうべき状況だった。

注1)『 日経エレクトロニクス』の1995年11月6日号で、当時の状況について触れている。記事中では、当時の様子をやや大仰に「冷や汗を流しながら走り回っていた」と記述しているが、実は落ち着いていた。

 その時のショックに比べたら、「今回は電池ができているだけ、ましじゃないか」と思った。だが、のんびりはしていられない。当然、技術陣はパーティーどころではなく、すぐさま会議を開いて原因の推定、対策の立案などを論議した。急いで対策案をまとめて会議を終えたのは、その夜の9時近く。そのころには、郡山市内のホテルで行われていたパーティーもお開きとなったようだった。

 パーティーに出席して気をもんでいた工場長は、一人でなじみのスナックに移動し、そこから沈んだ声で筆者に電話をかけてよこした。

「どうだ?ダメか?」「大丈夫です。対策を立てましたから任せてください」「ともかく、すぐにこっちへ来い」

 タクシーで駆け付けると、工場長はカウンターに突っ伏して眠っていた。心労は大変なものだったのだろう。後日、すべてが解決した後、工場長がしみじみと述懐したものだ。「あの時オレは、新工場をボーリング場にでも転用しなければならないかと思ったよ。しかし、西君は冷たいよねぇ。こっちは必死なのに、『黙って任せておいてくれれば大丈夫です』と突き放すんだからねぇ」。ウイスカの危機を乗り越えた経験が、筆者の自信になっていたのだろう。