本記事は、日経WinPC2011年5月号に掲載した連載「PC技術興亡史」を再掲したものです。社名や肩書などは掲載時のものです。

 グラフィックスチップの能力向上は著しい。最近では、ゲームの高速化だけでなく、CPUを差し置いて数値演算ユニットとしても使われている。グラフィックスチップが汎用的なプログラムを実行できるからだ。だが、高性能化が進むグラフィックスチップも、元をたどれば簡単なフレームバッファーであった。

LED表示から始まり
文字を表示する端末へ

 そもそも、PCの前身であるマイコンの表示機器はLEDだけだった。最初期の1970年代に登場した「Altair 8800」や「IMSAI 8080」などは、スイッチとLEDしかない。NECの「TK-80」やパナファコム(当時)の「LKIT-16」は7セグメントLEDで表示していた。

 これはいかにも使い勝手が悪い。元々IMSAI 8080やAltair 8800などは、単独で使うことを想定していない。「テレタイプ」と呼ばれる、キーボードと電動タイプライターを組み合わせた機器につないで使うことを前提としていた。

 しかし、テレタイプの騒音はハンパじゃない。表示に紙を使うので、紙の消費量も馬鹿にならない。そこで、この「キーボード+電動タイプライター」を電子的に再現したものが1970年代後半に登場した。「ビデオターミナル」と呼ばれるもので、Digital Equipment(DEC)の「VT100」やIBMの「IBM 3270」が有名だ。

 これらのビデオターミナルは、通信ポートを経由してコンピューターとつながる。この仕組みをマイコンに流用したのが、Commodoreの「PET-2001」やTandy Radio Shackの「TRS-80」などの初期のPCである。キーボードから文字を入力し、テレビまたはCRTディスプレイに文字を表示するという方式を取った。