モニターの中で3Dのキャラクターが自由自在に動き、手のひらに乗るような小さな箱の中に何枚枚もの写真が保存ができる。パソコンに使われている、さまざまなデバイスや技術は、目覚ましい進化を遂げてきました。でも中には進化の過程で消えていったものも多々あります。この連載では、グラフィックス、ハードディスク(HDD)、メモリー、CPUの進化の過程を振り返っていきます。古くからパソコンに親しんできた方は懐かしい話としてお楽しみください。また、これからの技術者を目指す方には、現在に至る前での技術の進化の経緯をぜひ知っておいてください。
PC技術興亡史
パソコン関連技術の変遷を知る
目次
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PentiumからCore iまで、基本設計の変遷をたどる
CPU編 第4回
1993年に登場したPentiumは、RISCCPUとの性能差を詰め、可能なら追い越すことが求められた(図1)。このため、Penti umでは「Uパイプ」と「Vパイプ」という2つの命令処理パイプラインを搭載し、最大2命令/サイクルの実行が可能になった。このように1サイクルで複数の命令を処理できる方式…
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訴訟合戦が勃発、高性能80486で市場を確保
CPU編 第3回
80386とMS-DOSはマーケットシェアを獲得したものの、MotorolaのMC68000系に対抗するため、Intelは性能を高く引き上げる必要性を感じていた。80386はIntelで初めてパイプライン処理を実現した製品だ。Intelは「ParallelPipeline(並列パイプライン)」と呼ん…
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80386の登場で、Intelが独占的な地歩を固める
CPU編 第2回
Intelは80286の発表から3年後の1985年に、80386を発表した(図1)。80386は、いろいろな意味で画期的だった。まず完全32ビットアドレスへの対応。8086や80286は、既存の16ビットアドレスをセグメント+オフセットという形で拡張した。CPUの実装は容易だったが、プログラマーに苦…
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1980年代に始まった、Intel対AMDの図式
CPU編 第1回
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紆余曲折があり、策定に7年かけたDDR4
メモリー編 第10回
来年以降少しずつ普及が始まるDDR4SDRAMで、メモリー編を完結させよう。DDR4の仕様は2005年に策定が始まった。最終的に「JESD79-4」として仕様がまとまったのは2012年9月。つまり7年近くかかった。この間に少なくとも2回、完全にご破算になって新規にやり直した。
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後継規格の策定が遅れ、長く使われるDDR3
メモリー編 第9回
DDR3 SDRAM規格の検討は2005年に始まった。最初の標準規格となったJEDECの「JESD79-3」がリリースされたのは2007年6月。DDR3はDDR2の倍速なので、当初は実現が難しいと言われた(図1)。
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生産の立ち上がりが遅れ、短命だったDDR2 SDRAM
メモリー編 第8回
DDR2 SDRAMの検討が始まったのは2000年ごろ。DDR SDRAMの策定作業は難航したが、これはIntelがDirectRDRAMを推したためだ。IntelはDDR2の標準化に協力的で、作業は順調に進んだ。ところが、2002年を想定していた完了間際でどんでん返しがあった。その結果最初の標準規…
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設計思想と現実がかけ離れ、DDRに敗れたDRDRAM
メモリー編 第7回
PC用メモリーがSDRAMからDDR SDRAMに移行するタイミングで、DDRSDRAMと覇を競い、敗れ去ったのがDirect RDRAM(DRDRAM)である。Rambusが開発した独自規格に基づくメモリーだ。Rambusは1990年に、高速メモリーインターフェースを開発する会社として設立された。…
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DDRはクロックの立ち上がりと立ち下りでデータを転送
メモリー編 第6回
SDRAMがPC向けメモリーの主役の座を勝ち取ったのは1998年に入ってからだ。しかし2000年には、その位置は早くも危うくなる。CPU性能の向上に追い付けず、帯域が不足したからだ。代わる候補はRambusが開発し、Intelがライセンスを受けて普及させようとした「Direct RDRAM(DRDR…
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タイミングからコマンドに、シンクロナスDRAMで転換
メモリー編 第5回
EDO DRAMが短命に終わった最大の理由は、より高速なシンクロナスDRAM(SDRAM)が登場したからだ。信号線の操作から一定のタイミングでデータが出力されるDRAMと異なり、SDRAMは、クロック信号に同期してデータを出力する(図1、2)。
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非同期アクセスで、メモリーはEDOまで発展した
メモリー編 第4回
DRAMはRAS#/CAS#/WE#という3本の信号線と、row/columnに多重化したアドレス線でアクセスする。最初の仕組みは冗長で、アクセス方法の改善で効率化できる。効率化の最初の試みが、FastPage Modeである。
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拡張バスからメモリーバスへ、モジュール形式に移行する
メモリー編 第3回
DRAMはプラットフォームに応じて進化してきた。そこでプラットフォームの変化を紹介しよう。初代のIBM PCはCPUが8088(8086の外部バス8ビット版)で、動作周波数は4.77MHzと遅かった。この世代だと、DRAMも8ビット幅、4.77MHzの拡張バスを通してアクセスした(図1)。少なくとも…
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DRAMのアクセスは行と列に多重化、タイミングで制御する
メモリー編 第2回
市場に初めてDRAMチップが投入されたのは1970年初頭。Intelの1Kビット(1024ビット)DRAM「1102」が最初の製品である。Intelは1985年に撤退するまで、DRAMの主要なメーカーだった。1102はいろいろと問題が多く、同年10月に修正版の「1103」が登場した。1103のアクセ…
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低価格で速いDRAMが、PCのメインメモリーに使われる
メモリー編 第1回
今回からテーマをメモリーに移す。メモリーは非常に多くの種類がある。半導体メモリーに限っても10種類以上ある(図1)。 第一に着目するのが揮発性だ。これは「電源を切ると中身が消えてしまう」メモリーである。一般にメモリーと聞いて思い浮かべるのはこちらだろう。低コストで高速動作が可能だ。SRAMはCPU内…
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SSDが登場し、SATAの高速化が続く
HDD編 第9回
現在のストレージにおける大きなキーワードはSSD(Solid State Drive)だ。本来は半導体メモリーを使ったHDD互換の記憶装置全般を指す。SSDそのものは1980年代から存在しており、企業向けにSRAMを採用したものがあった。SRAMを使ったSSDは揮発性メモリーを使っていたので、電源が…
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ソフトウエアの制御でも、HDDの性能を向上
HDD編 第8回
Serial ATA(SATA)は当初、既存のUltra ATAとの互換性を重視していたため、ソフトウエア面ではIDEと互換性のあるモードしかなかった。電気信号レベルではUltra ATAとSATAは全く違うが、その上で情報やコマンドをやり取りするときのプロトコルは全く同じままだったのである。その結…
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SATAの登場で、更なるHDD高速化と取り回しの改善を果たす
HDD編 第7回
Ultra ATAは最大133MB/秒まで転送速度を上げたが、フラットケーブルを利用することによる取り回しの不自由さや、2台のHDDを1本のケーブルで接続することに起因する高速化の阻害、配線長の制限などの問題が顕在化してきた。これに対応するため、従来とは大きく異なる接続方式の検討が2000年2月に始…
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データ転送用ピンを2倍に拡張して、HDDの低価格と高性能を両立
HDD編 第6回
HDDには容量のみならず、高速化も求められ続けている。IDEの規格では1998年のANSI INCITS 317-1998(ATA/ATAPI-4)で33MB/秒までの転送モードに対応したが、「より高速に」という要求は尽きなかった。
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HDDアクセスで使われるC/H/S方式が、さまざまな問題を生んだ
HDD編 第5回
IDE(Integrated Drive Electronics)のHDDでは、C/H/S(Cylinder/Head/Sector)方式でデータを管理していた。より正確に言えば、IDEのコントローラーは、C/H/Sをしばらく利用していた。しかしHDD自体は比較的早い時期から、LBA(Logical…
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安価で手軽なIDEが、PC用HDDを席巻
HDD編 第4回
SCSIの登場に合わせ、本格的なHDDの普及が始まった。しかし一方で「より低価格」にという要望は強く寄せられていた。実際、SCSIは大半のPCにとってオーバースペックだった。HDDは1台か、多くて2台。CDROMなどの光学式ドライブも接続する要件はまだ先の話だった。1980年代後半~1990年代前半…