本記事は、日経WinPC2011年4月号に掲載した「CPU今昔物語」を再掲したものです。社名や肩書などは掲載時のものです。

 1981年に、ついに16ビットPCが誕生する。しかし、時代はまだ8ビットPCを求めていた。80年代初頭はホビー用途を中心にさまざまな8ビットPCが登場した。

16ビット機の登場と8ビット機の多様化
※黒文字は8ビットPC、青文字は16ビットPC、赤文字はCPUに関する出来事

 1981年に登場した富士通の「FM-8」とNECの「PC-8801」は、これまでのホビー用途一辺倒だった8ビットPCの世界に、「ビジネスにも使える」というコンセプトを持ち込んだ。既に沖電気工業やソードなど、8ビットPCをビジネス向けに提供しているメーカーはあったが、個人ユーザーには浸透せず、大きなシェアを獲得するに至らなかった。8ビットPCは、ビジネス用途ではやや力不足だったのである。

NECの「PC-6001」
明確に家庭向けのホビー市場を狙った8ビットPC。価格は8万9800円と10万円を切り、家庭用テレビに接続することを前提とした。デザインもポップでカジュアルな印象を受ける。ROMカートリッジスロットを搭載するなどゲーム専用機に近い考え方を取り入れている。
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ビジネス用途を意識した高級8ビット機NECの「PC-8801」
PC-8801はオプションの漢字ROMを使えば、640×200ドットのカラーグラフィックス画面を使って漢字を表示できた。PC-8001の互換モードも備える。価格は22万8000円とやや高価だが、ビジネス向けPCとしては安価な方だった。
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 PCのビジネスユースへの浸透が模索される中、NECは同時に「PC-6001」というホビー用途に特化したPCも投入した。専用ディスプレイとの接続を想定していたPC-8801と異なり、テレビに接続したり、ROMカートリッジスロットを搭載したりするなど、手軽に使えることに重点を置いたモデルだ。NECはこの後も、ホビー向けとビジネス向けのラインを併存させることになる。

 8ビットCPUが力不足となる要因の一つにメモリー空間の制限がある。8ビットPCの心臓部として主に使われたZ-80のメモリー空間は、メモリーアドレスが16ビットのため64KBしかない。このことは、640×200ドットのグラフィックスを表示することを考えれば、かなり厳しい制限になる。640×200ドットということは、1画面だけで640×200÷8=約16KBを必要とする。カラー化するとこれが3枚必要となるため、合計で48KB必要だ。これを素直にメモリー空間に確保してしまうと、メインメモリーとして使える領域が小さくなってしまう。

PC-8801のメモリーマップ
64KBしかないメモリー空間をいかに有効活用するかがカギだった。ROM領域とRAM領域を同じアドレスに取り、バンクを切り替えて利用する形を採用している。またグラフィックスVRAMも同じアドレスを3プレーンで切り替えて利用する。

 そこでPC-8801をはじめ、多くの8ビットPCでは「バンク切り替え」という手法を使って、同じアドレス上に複数のRAMやROMを配置することによって対応していた。バンクはI/Oポートの特定のアドレスを操作することで切り替えることが多かった。これにより、カラー化でも大きなメモリーを使わなくても済んだ。