2005年にセイコーエプソンの水晶デバイス部門と統合され「エプソントヨコム」となった東洋通信機。この会社の歴史はとても古い。前身の事業体は1891年に設立されており、その後、通信機の製造を生業に発展してきた。技術力は高く、同社が製造した無線機は、第2次世界大戦で使われた戦闘機「零戦」に採用されたほどだ。このように、もともとは通信機メーカーだった東洋通信機。しかし、1980~2000年代には、水晶デバイス・メーカーとしての知名度が上回ることになる。通信機メーカーから水晶デバイス・メーカーへ。そのきっかけとなったのは、「人工水晶の工業化」だ。今回は、人工水晶の工業化に国内で初めて成功したエンジニアたちの活躍を追った。

通信機器市場が急拡大

 あの痛ましい戦争は、もう10年近くも前のことだった。行き交う人の顔には明るさが戻り、巷は好景気に沸いていた。後に言う「神武景気(じんむけいき)」である。

 通信機メーカーである東洋通信機もご多分に漏れず、業績を大きく伸ばしていた。製品は、作る傍から飛ぶように売れていく。毎日がとても忙しい。しかし、従業員は泣き言一つ漏らさない。皆、充実感で満ちあふれていたからだ。

 特に売れ行きが好調だったのが無線通信機である。電力会社に向けた短波帯無線電話機や、鉄道用携帯無線機、ロープウェイ用超短波無線機などの需要が急拡大していた。さらに、日本電信電話公社(現在のNTT)の中継機や交換機など、有線通信機も本格的な市場拡大期を迎えていた。「明るい未来が間違いなくやって来る」。従業員は皆、期待に胸を膨らませていた。

水晶が足らない

 ところが、1954年(昭和29年)ころのことだ。そんな期待を一気に押しつぶしかねない問題が顕在化し始めた。「水晶材料が足らない」という問題である。

 「水晶材料が足らないことが、どうして大きな問題なのか?」と疑問を持たれる方もいるだろう。実は、水晶材料は、無線通信機や有線通信機にとって極めて重要な役割を果たしていた。水晶材料を使って製造した水晶振動子は、非常に安定した周波数信号を生成できる。通信機は、この周波数信号を使って相手と情報をやり取りする。水晶振動子がなければ、通信機は動かない。つまり、通信機にとって水晶振動子は、「心臓部」の役割を果たしていたのだ。それは、今も昔も変わらない。

 その水晶振動子だが、そもそも終戦直後の時期から品不足気味の状況にあった。理由は、天然の水晶材料(天然水晶)を加工して利用したからである。もちろん、日本国内でもある程度の量の天然水晶を採掘できる。しかし、含有不純物が少なく、双晶(互いに対称な二つの結晶が結合したもので、水晶デバイスには使えない)が一切ない良質な大型品はなかなか採れない。当時、こうした大型品を採掘できるのはブラジルに限られていた。

 しかし、そのブラジルでも、良質な大型品を入手することは困難を極めた。水晶材料は、非常に重要な軍需物資だったからだ。東洋通信機で人工水晶の開発に携わり、現在は東京工科大学の応用生物学部で講師を務める永井邦彦氏によると、「良質で大きな天然水晶を採掘できる鉱山は、そのほとんどを米軍が管理していた。それでも、日本からブラジルまで買い付けに出掛けて、何とか必要な天然水晶を確保していた」という。

 需要が比較的少ない時期であれば、こうした急場しのぎの対応でも何とか乗り切ることができた。しかし、歴史的な好景気をバックに、需要は急拡大している。もう、急場しのぎでは対応できなくなってきた。水晶材料がなければ、無線通信機は製造できない。「水晶材料が足らない」という問題は、東洋通信機にとってまさに死活問題だった。