時が経つのは早い。世界を驚愕させたクオーツ式腕時計「セイコー クオーツアストロン35SQ」の製品化から5年。すでに、クオーツ式腕時計は、人々の生活に欠かせない道具となっていた。広く普及したクオーツ式腕時計。そのトップ・メーカーだった諏訪精工舎を待ち受けていたのは、激しい企業間競争だった。それまでの優位性を保つには、クオーツ式腕時計のさらなる小型化と低コスト化が不可欠。しかし、その心臓部にあたる音叉型水晶振動子の小型化と低コスト化は、そのときすでに限界に達していた。いかにして、この苦境を脱するのか。選んだ解決策は、まったく未知の技術の導入だった。第2回目は、QMEMSの起源(ルーツ)となる技術開発に取り組むエンジニアたちの活躍を綴る。

表向きは、確かに順調だった。しかし・・・

図1:長野県の伊那に居を構える水晶デバイス部門
1990年代のセイコーエプソン伊那事業所全景。3階建ての建物の後ろの平屋の大きな建物がフォトプロセス拡大のためにつくられた。

 世界初のクオーツ式腕時計「セイコー クオーツアストロン35SQ」が誕生してから5年が経過した1974年。そのころにはクオーツ式腕時計の本格普及期を迎えて音叉型水晶振動子は増産に次ぐ増産を重ねていた。量産を担当していたのは、長野県の伊那に居を構える水晶デバイス部門(当時は松島工業)(図1)。「製造も、ビジネスも、何もかも順調。音叉型水晶振動子は、事業の柱として計算できそうだ」。伊那の地で働く人たちの多くは、満足感に浸っていた。

 表向きは、確かに順調だった。しかし、開発の最前線で働くエンジニアたちに心休まる時間はなかった。この日も、諏訪の時計設計部門と伊那の水晶デバイス部門のエンジニアとの間で激しい議論が交わされていた。腕時計メーカーにとって、小型化と低コスト化は生命線。一息たりとも入れることはできなかったからだ。

 「腕時計部門の要望は分かりました。でもこれ以上、音叉型水晶振動子は小型化できません」。

 「いやいや、小型化してもらえなければ、次に製品化する女持ち(婦人用)の腕時計に入らない。何とかしてくれ」。

 諏訪の時計設計部門には、絶対に引き下がれない理由があった。クオーツ式腕時計を世界で初めて市場に投入してから5年が経ち、市場での競争が次第に激しくなってきた。特に、香港勢の追い上げは急だった。それまでの優位性を保ち続けるには、さらなる小型化と低コスト化が不可欠。そこで検討していたのが、従来品に比べて大幅に小型化した婦人用クオーツ式腕時計の製品化だった。それには、心臓部にあたる音叉型水晶振動子の小型化が是が非でも必要だったのだ。

  しかし、できないものは、できない。「もちろん、原理的には小型化できますが、そうするとコストが大きく跳ね上がってしまいます。だから事実上、これ以上の小型化は無理です」。これが水晶デバイス部門の本音だった。この日も、議論は平行線をたどるだけだった。