会見中の中村氏
会見中の中村氏
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 ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏は2014年11月3日、文化勲章が同氏に贈られたことを受けて、東京都内で報道機関向けの会見を開催した。席上、同氏は文化勲章やノーベル賞の受賞を契機にして、特許裁判などで関係が悪化した日亜化学工業との関係改善を図りたいことを強調した。「お互いいろいろと誤解があったと思う。これからは過去のことをすべて忘れて関係を改善し、未来だけをみてLEDやレーザーの発展のために貢献していきたい」と述べた。「どのような誤解があったのか」との質問が相次いだが、「ここでまた、こんな誤解があった、と言うと、どちらがいい、悪いという話になって(争いが)エンドレスになる。だからそういったことも含めて、すべて水に流したい」と繰り返した。

 会見では、LEDが普及したことがノーベル賞などの受賞につながったことを強調し、「現在のLEDの普及は、日亜化学工業の貢献が多大にある。しかも、1993年に高輝度青色LED製品を発表してから、同社は現在まで業界トップの座にある。これは現在の社長である小川英治氏のリーダーシップの賜物。もちろん、私の当時の部下をはじめとする日亜化学工業社員の方々の努力の成果でもある」とし、同社の功績を称えた。会見では、妹尾雅之氏、向井孝志氏、長浜慎一氏、岩佐成人氏、山田元量氏、山田孝夫氏といった、高輝度青色LEDを一緒に作った当時の部下6名の名前を挙げ、「非常に感謝している」と述べた。

 特に、小川英治氏との関係改善を強く望んでいるが、「過去にコンタクトをとろうとしたことがあったが、直接話はできなかった」(中村氏)。両者の和解を仲介してくれると申し出てくれる人物もいて期待していたが「不調に終わった」(同氏)ようだ。「最後の手段として、マスコミの方々にご協力いただき、何とかメッセージを先方に伝えたい。できれば直接お会いして、ざっくばらんに本音で話し合いたい」(同氏)という。

 小川英治氏と関係改善を図った後、日亜化学工業の創業者で、中村氏の青色LEDの研究を認め、支持してくれた恩人である故・小川信雄氏の墓前でお礼を言いたいとも語った。

 ノーベル賞受賞を受けて、中村氏の母校である徳島大学に賞金の半分を寄付するという。「日亜化学に入社して約10年間は、赤外LEDの材料などの研究開発に携わっていた。ただ、当時は会社に必要な測定装置などの設備が十分ではなく、徳島大学の多田先生(多田修名誉教授)にお借りしていた」。寄付は「その恩返し」という。