オリジナルが売れる技術を生む

 その後、青色LEDを開発する軌跡は、多くの場所で語られているので、この稿ではあまり触れないでおく。1つだけ確実に言えることは、私がもし実験室にこもって研究に没頭できる恵まれた境遇にあったら、青色LEDの開発に成功することはなかっただろうということだ。学問と本を捨てたことによる失意、営業先や社内の厳しい意見にさらされた経験の蓄積が、私を青色LEDの開発に向かわせたのだ。

 私が着手した時には、既に多くの大手メーカーが青色LEDの開発を精力的に進めていた。後発で遅れを取り戻すために私が選んだのは、大手が採用していない材料を使うという戦略だった。

 当時、大本命と目されていた材料はセレン化亜鉛である。それを避け、一部の大学などしか手掛けていなかった窒化ガリウムを選んだ。セレン化亜鉛の方が成功率は高いだろうし、多くの論文があるので追随も楽。それは分かっていた。けれど、それをやってもしょせんは大手の後追いである。もし開発に成功しても、ビジネスでまた負ける。

 技術開発は、計算通りにはいかないから面白い。むしろ、ギャンブル的な要素が強いのだ。ギャンブルは、大負けすることもあるが、大もうけすることもある。研究開発も似たようなものだと痛感している。誰も手掛けていない開発テーマを選ぶことは、ハイリスクではあるが、ハイリターンなのである。ほかの研究者と同じことをやっていては、大損しない代わりに、大当たりもしない。

 私がギャンブルできたのは、研究開発、製造、品質管理までの一連の技術を手掛け、研究室にこもらずに客先を訪ね歩いた経験が大きいと思う。自分が手掛ける開発テーマは世の中でどのように位置付けられるか。つまり売れる技術は何かを確認する技術者としての基本的な体力を、入社後の10年間で養えたのではないか。

 結局、自分を信じて、自分の考えに従って研究や開発、仕事に取り組むべきということだろう。そうすれば、おのずとオリジナルの開発テーマを選ぶことになる。青色LEDの研究を始めるに当たっては、意図的に論文や特許をあまり読まないようにした。それによって、独創的なアイデアが生まれ、多くの特許を出願できた。それまでは、全く逆で多くの論文や特許を読んだ。すると、無意識のうちにどうしてもそれをまねしてしまう。人のまねでは、オリジナルな研究はできない。自分だけのオリジナルが、研究開発では最も重要な財産なのだ。

 ただ、優れた技術はそのまま売れる製品には直結しない。製品とは顧客が必要とするものだからだ。優れた技術とは、単に技術あるいはサイエンスを追求しているだけである。それでは売れない。

 私もそうだったように、研究者はどうしても理論に走りたがる傾向がある。しかし、企業は理論ではメシが食えない。技術、あるいは製品を売り上げ、利益を上げることが最も大事なのだ。

 私は、青色LEDの開発に至るまでに、売れる技術の重要性を身に染みて体得したように思う。だから、研究の場が大学に移った今でも、これから売れる技術をいかに開発してやろうかということが頭にこびりついて離れない。一方では、昔やりたかった物理に興味が出始めてはいるが、遅いかもしれない。

中村修二(なかむら・しゅうじ)
1954年生まれ。工学博士。79年徳島大学大学院工学研究科修了。77年日亜化学工業に入社。79年から88年年まで同社開発課で金属ガリウムやリン化ガリウム、ヒ化ガリウム、ヒ化ガリウムアルミニウムなどの結晶成長について研究。88年から89年まで米フロリダ大学で客員研究員。シリコン上のヒ化ガリウムの結晶成長に関する研究に携わる。帰国後、再び日亜化学工業開発課で窒化ガリウム系半導体による青色発光ダイオード(LED)の研究に着手。93年10月に1カンデラの高輝度青色LEDの開発に世界で初めて成功する。その後、緑色LEDや青紫色半導体レーザーなどの開発に携わり、96年同社主幹研究員。2000年より現職。