「もの」と「つくり」を分ける

 こうして見てくると、日本メーカーが得意とする生産技術や生産管理、現場の改善といった能力とは別に、ワクワクするものを考え出す能力が改めて重要であることが分かってくる。というよりも、「ものづくり」はワクワクするものを考える局面と、それを物理的に製作・製造する局面の2つがあって初めて成立するもの、と理解すべきではないか。筆者は前者の「ワクワク感」を「もの」、後者を「つくり」と呼んでいる(図1)。こう分けると、Samsung Electronics社は「もの」に非常に長けていると言える。

図1●「ものづくり」の考え方
ワクワクする「もの」を考える部分と、「つくり」との2つから成ると考えるべき。日本では、「ものづくり」といえばほとんど「つくり」を指し、「もの」を念頭に置く人は極めて少ないようだ。
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 今の日本メーカーは残念ながら「もの」を考える力を失っているのではないかとすら筆者は考えている。特に日本の中小企業は、これまで取引先から出てきた図面通りに、言われたままの品質で造ることを要求されてきた。だから、「つくり」を厳しく鍛えられた半面、何を造るべきかという「もの」を考える必要がなかった。「もの」を考える能力がないというより、「もの」の概念そのものが希薄だったと言えるかもしれない。

 Samsung Electronics社に多くの日本メーカーが負けてしまった理由は、ものづくりを「つくり」に限定して考えている限りは決して見えてこない。だから日本メーカーではいつまでも、技術的に高度ならば売れるはずだとか、それでも売れないのは営業が悪いのだ、あるいは売るためにひたすらコスト競争力が必要だとかいった本質から外れた議論に終始してしまう。日本は「つくり」で負けているわけではなく、「もの」で決定的に負けているという本質を直視すべきだ。

 そして、「もの」で成功しているのは何もSamsung Electronics社だけではなく、韓国LG Electronics社も同Hyundai Motor社も、Apple社もDyson社も同じである。世界中の成長企業が、グローバリゼーションの進展に伴って「もの」を重視しているのに、日本企業は「もの」の意識が薄すぎる、と筆者は考えている。