長崎市香焼町は、長崎市街から10kmほど離れた入り江に面した山間にある。2011年には温泉施設や海水浴場のある伊王島と橋でつながり、賑わいも増した。長崎市街から伊王島にクルマで向かい香焼町に入ると間もなく、道のすぐ脇に海を背にした太陽光パネルが目に飛び込んでくる。SBエナジー(東京都港区)の運営する出力1.75MWの「ソフトバンク長崎香焼ソーラーパーク」だ。道を挟んで向かい側の丘陵は住宅地になっており、家に挟まれた細道をのぼり、山の中腹まで来ると、約1万枚の太陽光パネルが整然と並んだメガソーラー(大規模太陽光発電所)を見下ろすことができる。

図1●隣の山から見た「ソフトバンク長崎香焼ソーラーパーク」
(出所:SBエナジー)
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炭鉱跡に使い道のない16万m2の空き地

 香焼町は、大型タンカーなどを製造する三菱重工業・長崎造船所の大規模な工場が立地することで知られる。山間には豊かな常緑樹も残り、製造業と自然が共存している。だが、もともとは炭鉱で発展した。1874年(明治7年)に香焼炭鉱が操業して以来、炭鉱住宅が立ち並び、多くの坑夫が暮らした。「ソフトバンク長崎ソーラーパーク」の建設地は、かつて「ボタ(捨石)」と呼ばれる石炭を掘り出す際に出る土砂を埋め立てる場所だった。

 終戦後、香焼炭鉱の経営はテツゲン(東京都千代田区)が継承した。だが、海の下にまで伸びた坑道から掘り出す香焼炭鉱は、次第にコスト競争力を失い、1964年に閉山した。炭鉱関連の施設を所有するテツゲンは、香焼町の大地主として、閉山後の街作りを担ってきた。幸い長崎市街に近いこともあり、炭鉱住宅は賃貸アパートに衣替えし、丘陵の土地を宅地として開発するなど、閉山後も過疎化を回避してきた。

 ただ、ボタで入り江を埋め立ててできた約16万5000m2もの海岸沿いの土地(竹崎地区)は、市街化調整区域となったこともあり、ほとんど未利用のまま50年近く空き地だった。テツゲン 九州開発部の後藤勝憲・長崎営業所長は、「市街化調整区域では、都市計画法によって住宅はもちろん農水産関連以外の建物が建てられない。以前から用途開発に関して相談していた都市再生機構からメガソーラー建設の提案を受け、検討を始めた」と打ち明ける。当初、パワーコンディショナー(PCS)を設置した建屋が都市計画法で禁止する「建物」に該当するか否か不明確だったが、「該当しない」との国土交通省の通知によって、メガソーラーの建設が可能になったという経緯がある。

図2●丘陵にある住宅街から見たメガソーラー
(出所:日経BP)
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