筆者の出身校である早稲田大学は、在野精神とかバンカラとかといわれていて、確かにそうした気概が一部にあったが、ホンダの人たちのアクの強さ、個性の強さはケタが違っていた。筆者にとって本田技術研究所は異境、もっと言えば魔境だったのである。そこでは、米国で学んできた最新の技術も論理的思考も生かしようがなかった。すぐに辞めたくなった。

 ところが、である。しばらく勤めていると、ホンダに巣くう異端者たちの中にある種のすごみを感じるようになった。例えば、こんなときだ。安全シートの試作品を設計して試作課に持っていったら、板金加工担当のオジサンが「A00(本質的な目標)は何だ」と聞いてくる。「はい。性能向上、質量低減、コスト削減です」と答えたら、「あんちゃん、それ全部違うなぁ。その3つで何をしたいかがA00だろ。おまえ、お客の安全を向上したいんじゃないの」。

 ドアの強度試験に使う治具の設計を間違えたときもそうだった。試作課から届いた治具は、必要な寸法の5倍。縮尺を間違えて設計してしまったためだ。上司に「すみません。寸法を間違えました。かなりの費用が無駄になったと思いますので、給料で少しずつ返します」と申し出た。ところが、メシを音を立てながら喰う、エリートとは程遠い見た目をしていたその上司は、「わざと間違えたのではないだろう。それなら謝る必要はない。誰にでもあることなんだ。先輩も経験している。2度同じ間違いはするなよ」とスッと言う。注意も小言も全くなかった。

 ホンダは、早稲田やバークレーとは全く異なる価値観と原理で物事が進んでいくのだ。上品とはいえない見た目とは裏腹に、とても高尚な気がした。本田技術研究所には異端者、変人、異能の人が集い、多彩な個性を競っていたのである(図1)。

図1●ホンダのイノベーションを加速する企業文化と仕掛け
図1●ホンダのイノベーションを加速する企業文化と仕掛け
異端者、変人、異能の人は、イノベーションには不可欠。

 当時の本田技術研究所の雰囲気は、ある意味でホンダ創成期の神話である。企業が成長するに従って、“優秀な学生”が多く入社し、“スマートで上品な人たち”が増えていった。ところがホンダには、異質性や多様性を伸ばすための独自の仕掛けがある。これは次回で説明しよう。

■この記事の基になった『日経ものづくり』の連載は,書籍『ホンダ イノベーションの神髄』として2012年7月に弊社より刊行いたしました。Tech-On!書店Amazonなどインターネットからも購入いただけます。