HVT着想当時は「ヒンジ機構を介して音を出してもよいものか」と散々悩んだ。だが実は,WE540Aも折れ曲がり部を使いながら,音を出していた。振動板に折れ曲がり部があり,全体で音を出す仕組みだった。WE540Aとの出合いは2002年。あるきっかけで,詳しく見たり聞いたりするチャンスがあった。周波数レンジはあまり広くないものの,意外と素直な音が出ていることに驚いた。

 作図しながらWE540Aを思い浮かべ,「材質や機構をうまく工夫すれば,きっとなんとかなる。それに,現代なら,いろいろな素材がある」と,よく自分を勇気付けた。飛び出す絵本でヒントを得て,100年前の「スコット・ラッセルのリンク機構」を使い,90年前のスピーカーに励まされながら,最新の素材を生かすことを試みた。

 内緒で手配していた部品が届き,いざ組み立てという段階で,困ったことに気が付いた。私は老眼が始まっており,細かい作業が正確にできなくなっている。加えて,ここまで秘密裏に進めるため,振動板やボイス・コイル,リンク素材といった金型が必要な部品は手配しなかった。そのため,すべて100円均一の店舗で購入したテープや画用紙,発泡樹脂板などで手造りをしなければならなかった。また,ボイス・コイル用の電線は社内にあったが,トラック型のボイス・コイルを巻く巻き線冶具は部品メーカーにもなかった。自分で手配した角型の軸に巻き付けていくしか手段はなかったのだ。

 途方に暮れた私は意を決して,隣に座っている器用な部下に,秘密裏に進めていたスピーカーの全容を話し,開発の担当に任命した。幸い笑われず,協力的に試作してくれたおかげで,1週間程度でやっと試作1号機が完成した(2007年秋)。この時はボイス・コイルだけでも4個の良品を造るのに,丸2日もかかっている(不良品ばかりが出来上がってしまった)。すき間がないように,平面度を保ちつつ指先で張力を加減しながら巻く作業は,かなり難度が高かった。

 開発担当者と試作1号機の動作を確認した。低域では,薄さの割に静かにドクドクと振動板が盛大に振幅した。しかし,周波数を上げていくと,いろいろな個所から異音が「ガサガサガサ」「ビィーン」と,発生し始めた。試作してくれた担当者は「頭では分かっていたが,本当に動いたというだけで思わず身震いした」そうである。この異音が後々,量産設計の担当者たちを苦しめることになるとは,この時は知る由もない。

 その後,この試作機を企画部門にも披露してHVTと名付け,正式に量産設計をスタートさせた。

小林 博之
東北パイオニア スピーカー事業部 第一生産部 開発技術部 音響開発課 課長