「分かった,全部買おう」

 現在,台湾Inventec(英業達)グループで役員を務めるChuangと内海が出会ったのは,1976年の夏である。内海は当時,日本のシステックというメーカーから電卓を買い付け,米国のRadioShack向けに展開する業務を担当していた。ところが,激化する電卓戦争の余波を受け,システックが突如倒産してしまう注1)。電卓の受注を大量に抱えていた内海は,途方に暮れた。

注1) システックは当時,米国市場向けの家庭用ゲーム機を手掛けるなど,電卓以外の事業進出も目指していた。それが結果的に,任天堂が家庭用ゲーム機に参入する きっかけになったといわれている。任天堂が1970年代後半に発売した初期の家庭用ゲーム機の多くは,もともとシステック向けに開発された三菱電機のゲー ム機用LSIを使っていたからだ。システックの倒産によって宙に浮いたLSIが任天堂に持ち込まれたことで,同社のゲーム事業が始まったとも言える。

 内海は大慌てでシステックに向かい,同社の下請けの台湾メーカーが電卓の在庫を持っていると聞き付けた。早速,台湾に乗り込んだ内海が向かった先が,当 時電卓を製造していた台湾Zeny社である注2)。そして,Zeny社で電卓事業を仕切っていたのがChuangだった。

注2)Zeny社はAuroraグループの関連会社である。当時は,シャープやキヤノンと取引があった。