「君の強みは何だ?」,飯塚が内海に言われたこと

 「僕は内海さんの直弟子だから」。こう語るのが,かつてA&Aジャパンで内海の部下だった,バイ・デザイン代表取締役社長の飯塚克美である。「バイヤーの仕事は,ビジネスのさまざまな面を全部マネジメントして,シナリオを作ることだと教わった。ただ単に,買うことだけがバイヤーの仕事ではないのだと」(飯塚)。

バイ・デザイン 代表取締役社長の飯塚克美氏(写真:中島正之)

 内海によれば,飯塚との最初の出会いは,韓国だったという。内海が韓国でTandy Electronics Korea社の工場の立ち上げを進めていた1970年代後半に,飯塚が日本から派遣されてきたのだという。飯塚はA&Aジャパンに入社してまだ数年目の若手だったが,仕事ぶりが評価されて,韓国に送り込まれたのだ。

 内海は当時,韓国の工場での生産管理だけではなく,バイヤーとして,韓国メーカーに対して米国市場で受け入れられやすい製品の企画などを提案しながら,韓国企業を育てていた。内海は,飯塚にもそうした仕事を学ばせようと考えた。

 内海は飯塚が韓国に到着するなり,こう聞いた。「おい,飯塚君。君の強みは何だね」。内海は,飯塚の得意な面を把握することで,そこを伸ばそうと考えたのだ。当時,飯塚のような日本からの駐在員は,韓国の現地社員よりも給料が高かった。給料が高いからこそ,現地社員よりも明らかに優れた点がないと,韓国の社員から不平不満が出てしまう。「君が給料が高い理由を,韓国の現地社員に圧倒的に見せつけないといかんよ」。そう内海は,飯塚に語った。

 とはいえ,入社間もない飯塚に,ビジネス面で圧倒するような特技があるはずもない。飯塚が答えに窮していると,内海は「君はギターがうまいそうじゃないか。ちょっと弾いて聞かせろ」と言うと,そのまま飯塚を連れて酒場に繰り出した。その店にあったギターを飯塚に弾かせるためだ。飯塚がギターで当時のヒット曲を奏でると店の女性従業員が大騒ぎし,大変な盛り上がりになったという。それ以来飯塚は,内海が取引先と飲み会に繰り出すたびに,盛り上げ役として駆り出されることになったらしい。

 飯塚は1980年代後半に,A&Aジャパンの創設者である山縣虔の息子に推薦され,Dell社に参画し同社の日本進出事業を任されることになる。Dell社の日本法人は当初,アスキーのオフィスに間借りしていた。内海もちょうどそのころ,アスキーの経営企画室で働いており,飯塚の仕事を側面から支援していた。