Nokiaと合弁企業を立ち上げ

 当時のNokia社は多数の事業を抱えるコングロマリットで,パソコンやテレビなども製造販売していた。移動通信関連はまだ,NMT(nordic mobile telecommunication system)というアナログ方式の携帯・自動車電話機を小規模に製造していただけだったが,1984年に世界初のNMT方式の可搬型自動車電話「モビラ・トークマン」を発表するなど,技術開発は進んでいた。

 一方のTandy社は1980年代前半に,米国で第1世代のアナログ携帯電話方式であるAMPS(advanced mobile phone service)が登場して以来,RadioShackの店頭で携帯電話機を販売しようと画策していた。スウェーデンEricsson社にまず声を掛けた が,契約面で折り合いがつかなかった。次に声を掛けたNokia社が,北米市場におけるRadioShackの強い販売網に期待を寄せ,合弁企業設立に合 意していたのだ注2)

注2)Tandy社はAMPS方式の携帯電話機について,日立製作所の東海工場にも製造を依頼した。日立の東海工場はこのほかにも,内海の依頼により,かなりの品種の電子機器をRadioShack向けに製造したという。

 Nokia社とTandy社の合弁企業の製造拠点は,韓国の馬山にある工業団地に設置された。内海は当時,日本や韓国,台湾など東アジア地域におけるTandy社の製造部門を統括する立場だった。そのためNokia社との合弁企業に関しても,内海に委ねられた。

 内海のミッションは,韓国の工場に携帯電話機の量産ラインを立ち上げること。ここで製造した電話機を独占的にRadioShackに供給し,全米数千店の店舗で販売する仕組みである。