次期モデルに「薄さ」を求めた西和彦

 TRS-80 model 100は,西和彦のアイデアを基に,京セラが設計・製造した。Tandyブランドでの販売のほか,NECやイタリアOlivettiなどのブランドでも販 売された。京セラは西のアイデアを具現化しようと,セラミック基板を使ったモジュールを開発するなど,当時の最先端の技術を注ぎ込んだ。

 西は,model 100の成功を受けて,次期モデルである「model 200」では,より薄型の機種を目指すべきと主張した。「厚さを半分にしてくれ,と言った」(西)。model 100の筐体を水の中に浸し,「出てくる泡の分だけ薄くできるはず」と迫ったという。しかし,Tandy社では,より画面サイズの大きな新製品を目指して おり,その思いは聞き入れられなかった。西はその後,別の企業とともに,理想のパソコン作りを進めることになる。

西和彦氏と,同氏が開発に携わったIBM互換のノート・パソコン(左と中央)。鳥取三洋電機が開発した。右が京セラと開発したTRS-80 model 200。