ミスターRadioShack

 すべての決定権を握っていたのは,Tandy RadioShackの名物バイヤーであるBernard Appelだ。通称バーニヤ。RadioShack社の社長を長年務め,「ミスターRadioShack」とも呼ばれる。彼が出席する購買決定会議は,彼 のイニシャルから「BAミーティング」と呼ばれた。

 Tandy社に製品を売り込みたい,ありとあらゆる日本メーカーの担当者が,この会議室にやって来た。一つの製品の説明に許される時間は20分程度。それで「売れる」と判断されれば,その場で取引成立である。販売される製品は,即断即決される仕組みだった。

 バーニヤの来日は年に数回。これに合わせて,日本のエレクトロニクス・メーカーと事前協議し,米国で売りやすい製品の企画を提案したり,価格引き下げの事前交渉を行ったりするのが,A&Aジャパンの内海の仕事だった。

 「なあ内海さん。いくらやったら,買うてくれますの」

 内海はいつも,あいさつがわりにこんな質問を受けていた。内海はメーカーにとって,Tandy社との取引を成功させるためのノウハウを与えてくれる,貴重なアドバイザーだった注2)

注2) A&Aジャパンは,山縣虔氏が米国に設立したA&A Internationalの日本支部に当たる。山縣氏は,片岡電気(現アルプス電気)や立石電気(現オムロン)など日本メーカーの製品を米国市場に紹介 したことで知られており,その功によって後に勲五等瑞宝章を授与された人物である。その山縣氏と,Tandy社のCharles D. Tandy氏が親しかったことから,A&A Internationalが購買流通を引き受ける形となっていた。西南学院大学を1950年に卒業した内海は,繊維関係の輸出関連企業(日本トレイディ ング)などで働いた後,親戚の紹介により,1966年にA&Aに入社した。