Radio Shackの店舗は,全米に7000店ほどあった。(写真:花井 智子)
Radio Shackの店舗は,全米に7000店ほどあった。(写真:花井 智子)
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 当時の日本のエレクトロニクス・メーカーは,米国に販売拠点がないため,製品を展開したくともできない場合が多かった。そうしたメーカーにしてみると, 全米に販売網を持つTandy社は,是が非でも付き合いを深めたい相手であった。Tandy社は欧州やオーストラリアにも販売網があり,製品が世界市場に デビューできる貴重な場でもあった。その窓口となったのが内海だったのだ。

 内海は1966年から,Tandy RadioShackの日本製品の購買業務を引き受けていたA&Aジャパンに勤務し,その後1987年に退社するまでバイヤーやマネジャーの立場 にあった。その間,単なるバイヤーとしてではなく,日本企業の海外向け製品の企画開発を手助けする役回りを演じた。Tandy社関連企業を離れた後もエレ クトロニクス業界とかかわり続け,80歳となった現在も,国内メーカーの中国市場開拓の支援を手掛けている。エレクトロニクス業界での仕事歴は実に,40 年以上に及ぶ。